韓国人の宗教への異常な情熱
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2007/09/18 21:22 投稿番号: [5022 / 10735]
この内容はここのトピがいいかな。
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アフガン「大量人質事件」を生んだ韓国人の宗教への異常な情熱=黒田勝弘
2007年9月18日 SAPIO
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070918-01-0401.html
数年前、ソウルからモンゴルを訪れた折、いくつかの興味深いことがわかった。まずモンゴルへの航空便だが、以前は日本からの便が多かったが、今やソウルからの方が便数が多くなっていたことだ。したがってモンゴルを訪れる外国人でも、日本人より韓国人が多くなり、モンゴル滞在者でもそうだった。
その背景の一つは、モンゴル人の韓国への出稼ぎが増えたことだが、もう一つ、韓国人のモンゴルでの宗教活動が活発化していることもある。例の統一教会をはじめ韓国のキリスト教団がたくさん進出している。
現地で聞いた話だが、モンゴルは土地は広大だが人口は260万人と少なく、うち100万人は首都のウランバートルに集中している。そこで韓国の宗教人たちの布教活動も首都に集中しがちだ。その結果、ソウルからは「もっと田舎で布教活動を活発にしろ」と檄が飛ばされているということだった。
遊牧民族のモンゴルの田舎というと、砂漠ないし草原地帯で、そこにテント式家屋のゲル(包=パオ)が散在している。そんなところを回りながらキリスト教を布教しよう、というわけだ。あらためて韓国人の宗教的情熱に感心(?)したものだ。
先年、激烈な民族戦争が起きた旧ユーゴでも、韓国人の宗教的情熱が話題になった。多国籍軍の軍事行動に際し外国人の決死(?)の国外脱出が行なわれた時、何とそこに10数人の韓国人が含まれていたのだ。後でわかったことだが、彼らは統一教会のメンバーだった。
さらにイラクのフセイン政権が倒れた直後の2004年、韓国人ビジネスマンが武装勢力に拉致され殺害された。依然、戦火が続くイラクで早くも韓国人ビジネスマンが活動しているのか、とそのビジネス根性に驚かされたが、彼も実は牧師志望のキリスト教徒だった。その死をめぐって韓国では「殉教者論争」が起きている。
韓国は“キリスト教王国”だ。全人口の3分の1、1500万もの信者がいる。全国いたるところ教会だらけだ。とくにソウル首都圏の夜は、教会の赤いネオンの十字架が夜空に点々として見事である。
韓国のこの“教会パワー”が豊かになった経済力をバックに今や海外にまで噴出している。ある調査によると、布教や奉仕活動で海外に派遣されている宗教人は世界175か国、1万6000人に上るという。これが最近、国際社会を驚かせた、アフガニスタンでの韓国人大量拉致事件の背景である。
それにしても韓国人の宗教的情熱はすごい。たとえば、ぼくの韓国生活は30年近くになるが、これまで何回誘われたことか。
とくにキリスト教系の知り合いからは今でも会うごとに「教会に行きましょう」といわれる。タクシーの運転手にも結構これがいてよく話しかけてくる。カーラジオで牧師の説教ばかり流しているのもいる。外国人のぼくにまであれほど熱心に“布教”しようとするのだから、情熱的というしかない。
では韓国人の宗教的情熱の根源は何か?
韓国での生活体験でいうと、「一途な性格」、それと関連のある「思い込みの強さ」、他人には耳を貸さないジコチュウ(自己中心主義)、あるいは名分重視の原理主義的傾向、そして他人への施し好き、「多情」という名のおせっかい好き……などが関係あるように思える。
キリスト教でいえば、米国の影響を強く受けていることも関係あるようだ。米国民主主義が“人権外交”に象徴されるように、祖先のヨーロッパより純粋かつ原理主義的になっているように、韓国キリスト教もまた米国では、より「一途に」なっているように見える。
韓国キリスト教の情熱ぶり、つまり「押しつけがましさ」には米国流の影響がある、というのがぼくの仮説である。韓国人の宗教的情熱だけは、ぼくら日本人には太刀打ちできないものだ。(産経新聞ソウル支局長)
※各媒体に掲載された記事を原文のまま掲載しています。
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アフガン「大量人質事件」を生んだ韓国人の宗教への異常な情熱=黒田勝弘
2007年9月18日 SAPIO
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070918-01-0401.html
数年前、ソウルからモンゴルを訪れた折、いくつかの興味深いことがわかった。まずモンゴルへの航空便だが、以前は日本からの便が多かったが、今やソウルからの方が便数が多くなっていたことだ。したがってモンゴルを訪れる外国人でも、日本人より韓国人が多くなり、モンゴル滞在者でもそうだった。
その背景の一つは、モンゴル人の韓国への出稼ぎが増えたことだが、もう一つ、韓国人のモンゴルでの宗教活動が活発化していることもある。例の統一教会をはじめ韓国のキリスト教団がたくさん進出している。
現地で聞いた話だが、モンゴルは土地は広大だが人口は260万人と少なく、うち100万人は首都のウランバートルに集中している。そこで韓国の宗教人たちの布教活動も首都に集中しがちだ。その結果、ソウルからは「もっと田舎で布教活動を活発にしろ」と檄が飛ばされているということだった。
遊牧民族のモンゴルの田舎というと、砂漠ないし草原地帯で、そこにテント式家屋のゲル(包=パオ)が散在している。そんなところを回りながらキリスト教を布教しよう、というわけだ。あらためて韓国人の宗教的情熱に感心(?)したものだ。
先年、激烈な民族戦争が起きた旧ユーゴでも、韓国人の宗教的情熱が話題になった。多国籍軍の軍事行動に際し外国人の決死(?)の国外脱出が行なわれた時、何とそこに10数人の韓国人が含まれていたのだ。後でわかったことだが、彼らは統一教会のメンバーだった。
さらにイラクのフセイン政権が倒れた直後の2004年、韓国人ビジネスマンが武装勢力に拉致され殺害された。依然、戦火が続くイラクで早くも韓国人ビジネスマンが活動しているのか、とそのビジネス根性に驚かされたが、彼も実は牧師志望のキリスト教徒だった。その死をめぐって韓国では「殉教者論争」が起きている。
韓国は“キリスト教王国”だ。全人口の3分の1、1500万もの信者がいる。全国いたるところ教会だらけだ。とくにソウル首都圏の夜は、教会の赤いネオンの十字架が夜空に点々として見事である。
韓国のこの“教会パワー”が豊かになった経済力をバックに今や海外にまで噴出している。ある調査によると、布教や奉仕活動で海外に派遣されている宗教人は世界175か国、1万6000人に上るという。これが最近、国際社会を驚かせた、アフガニスタンでの韓国人大量拉致事件の背景である。
それにしても韓国人の宗教的情熱はすごい。たとえば、ぼくの韓国生活は30年近くになるが、これまで何回誘われたことか。
とくにキリスト教系の知り合いからは今でも会うごとに「教会に行きましょう」といわれる。タクシーの運転手にも結構これがいてよく話しかけてくる。カーラジオで牧師の説教ばかり流しているのもいる。外国人のぼくにまであれほど熱心に“布教”しようとするのだから、情熱的というしかない。
では韓国人の宗教的情熱の根源は何か?
韓国での生活体験でいうと、「一途な性格」、それと関連のある「思い込みの強さ」、他人には耳を貸さないジコチュウ(自己中心主義)、あるいは名分重視の原理主義的傾向、そして他人への施し好き、「多情」という名のおせっかい好き……などが関係あるように思える。
キリスト教でいえば、米国の影響を強く受けていることも関係あるようだ。米国民主主義が“人権外交”に象徴されるように、祖先のヨーロッパより純粋かつ原理主義的になっているように、韓国キリスト教もまた米国では、より「一途に」なっているように見える。
韓国キリスト教の情熱ぶり、つまり「押しつけがましさ」には米国流の影響がある、というのがぼくの仮説である。韓国人の宗教的情熱だけは、ぼくら日本人には太刀打ちできないものだ。(産経新聞ソウル支局長)
※各媒体に掲載された記事を原文のまま掲載しています。
これは メッセージ 1 (jgeilsbandfreek さん)への返信です.
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