Re: 中央日報のオロカな社説
投稿者: melancholy_night 投稿日時: 2007/08/13 08:51 投稿番号: [4900 / 10735]
お馬鹿の程度ではこっちの記事のほうが上です。なんだか難しい言葉を並べて何か高尚なことを論じているように見せながらこれほどまでに無内容な文章は珍しいです。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=90150&servcode=100§code=100
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【噴水台】文化富国論
これは戦争だ。シム・ヒョンレ監督の『D−War』が起こした“The War”だ。単純に興行街道を走ることを超えて、映画一本が派閥を分ける道具に変質した様相だ。支持者と批判者の間に戦線が引かれ、支持者たちは批判者たちに対してマッカーシズム的魔女狩りもいとわない。健康的な批判と純粋な熱狂は失踪した。
『D−War』の興行は「愛国・民族・市場主義と“人間劇場”ドラマの結合物」だ(文化評論家チン・ジュングォン氏)。ハリウッドにも劣らないという成就感に監督の特別な成功談が重なった。このように映画外的要因が興行の動力となることは歴代1千万映画に共通する現象だ。
『D−War』がこれらと違う点は“非主流英雄談”として消費されたということだ。忠武路(チュンムロ)の隅に追いやられたコメディアン出身監督が、インターネットの空間の中で非主流の英雄として見出され、集団的に崇められたのだ。評壇の酷評は迫害を受ける弱者のイメージを強化した。テレビのバラエティ番組で流した監督の涙は感性のドラマを完成させた。“仮想の主類”の中には既成の評壇、マスコミ、忠武路一般が含まれる。国産技術の発展とハリウッド行きという開発・成長主義に加え「映画は娯楽にすぎない」という大衆主義、専門家集団に対する反感などがかみ合った。
もう少し注目して見る部分は、批判者であれ、支持者であれ同意している“文化富国論”だ。最初に 『D−War』の支持者たちを最も刺激したこともこの部分だ。コンピューターグラフィック技術がこれほどまでに発展し、ハリウッドにも行くというのに我々同士なら激励しなければならないのではないか、シム監督だから認定しないと不満だ。
シム監督は“文化富国論”の最初の段階で恩恵を被った人である。新知識人1号に選定され創意産業の麒麟児として注目された。『ジュラシックパーク』と現代(ヒョンデ)自動車販売収益を比べて映像産業育成策を繰り広げた金大中(キム・デジュン)政府によってである。以後“文化富国論”は“次世代成長動力”などと名前を変えて映画談論を支配した。韓流、スクリーンクオータ、国外映画祭受賞、1千万シンドロームなどが“文化富国論”として注目された。韓国映画はそのとき愛国主義的消費や熱狂の対象になったのだ。
もちろん文化富国論は文化知識社会に進入した21世紀に依然として有効で強力であることには間違いない。しかし、究極としては文化でお金と産業、成長論理を先に立たせるという落とし穴がある。お金をたくさん儲け、国の名をとどろかせてこそ最高だという認識を広げる。韓国映画がよくできてこそ韓国が豊かになるから韓国人は無条件、韓国映画を支持しなければならないといった単純論理を超える文化的視線は簡単に見えない。
ヤン・ソンヒ文化スポーツ部門次長
2007.08.12 10:17:26
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=90150&servcode=100§code=100
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【噴水台】文化富国論
これは戦争だ。シム・ヒョンレ監督の『D−War』が起こした“The War”だ。単純に興行街道を走ることを超えて、映画一本が派閥を分ける道具に変質した様相だ。支持者と批判者の間に戦線が引かれ、支持者たちは批判者たちに対してマッカーシズム的魔女狩りもいとわない。健康的な批判と純粋な熱狂は失踪した。
『D−War』の興行は「愛国・民族・市場主義と“人間劇場”ドラマの結合物」だ(文化評論家チン・ジュングォン氏)。ハリウッドにも劣らないという成就感に監督の特別な成功談が重なった。このように映画外的要因が興行の動力となることは歴代1千万映画に共通する現象だ。
『D−War』がこれらと違う点は“非主流英雄談”として消費されたということだ。忠武路(チュンムロ)の隅に追いやられたコメディアン出身監督が、インターネットの空間の中で非主流の英雄として見出され、集団的に崇められたのだ。評壇の酷評は迫害を受ける弱者のイメージを強化した。テレビのバラエティ番組で流した監督の涙は感性のドラマを完成させた。“仮想の主類”の中には既成の評壇、マスコミ、忠武路一般が含まれる。国産技術の発展とハリウッド行きという開発・成長主義に加え「映画は娯楽にすぎない」という大衆主義、専門家集団に対する反感などがかみ合った。
もう少し注目して見る部分は、批判者であれ、支持者であれ同意している“文化富国論”だ。最初に 『D−War』の支持者たちを最も刺激したこともこの部分だ。コンピューターグラフィック技術がこれほどまでに発展し、ハリウッドにも行くというのに我々同士なら激励しなければならないのではないか、シム監督だから認定しないと不満だ。
シム監督は“文化富国論”の最初の段階で恩恵を被った人である。新知識人1号に選定され創意産業の麒麟児として注目された。『ジュラシックパーク』と現代(ヒョンデ)自動車販売収益を比べて映像産業育成策を繰り広げた金大中(キム・デジュン)政府によってである。以後“文化富国論”は“次世代成長動力”などと名前を変えて映画談論を支配した。韓流、スクリーンクオータ、国外映画祭受賞、1千万シンドロームなどが“文化富国論”として注目された。韓国映画はそのとき愛国主義的消費や熱狂の対象になったのだ。
もちろん文化富国論は文化知識社会に進入した21世紀に依然として有効で強力であることには間違いない。しかし、究極としては文化でお金と産業、成長論理を先に立たせるという落とし穴がある。お金をたくさん儲け、国の名をとどろかせてこそ最高だという認識を広げる。韓国映画がよくできてこそ韓国が豊かになるから韓国人は無条件、韓国映画を支持しなければならないといった単純論理を超える文化的視線は簡単に見えない。
ヤン・ソンヒ文化スポーツ部門次長
2007.08.12 10:17:26
これは メッセージ 4899 (jgeilsbandfreek さん)への返信です.
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