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Re: 住んでみて (ソンウジョン(笑))

投稿者: jgeilsbandfreek 投稿日時: 2007/04/22 18:29 投稿番号: [4548 / 10735]
元NHKソウル特派員・原田令嗣議員が語る韓日関係
「朝鮮通信使400年記念行事、関心低く残念」

  15日にソウルで再現された朝鮮通信使任命式・行列を皮切りに、今年11月まで朝鮮通信使に関するイベントが韓国と日本の各地で行われる。朝鮮通信使の行列が日本を目指し第一歩を踏み出したのは1607年。今からちょうど400年前のことだ。その後200年間続いた朝鮮通信使は、その名のとおり「信を通ずる」使節だった。当時日本が中国やオランダと結んでいた関係はあくまでも「通商」に過ぎず、韓日関係とは度合いが違っていた。

  衆議院の原田令嗣議員はこの5年間、朝鮮通信使400周年行事を主導してきた。日本の政界における代表的な親韓派で、「“朝鮮通信使”交流議員の会」の事務局長を務めている。原田議員は「戦火を交えてから10年も経たないうちに再び友好関係を築いた隣同士の国は、世界でも例を見ないだろう」と話す。朝鮮通信使の往来は1598年の壬辰倭乱(文禄・慶長の役)から9年後に始まった。

  「戦後10年で200年間続く平和外交を築き上げました。“歴史問題”という衝突の歴史は、日韓関係全体を規定するほど長い歴史ではありません。日韓の間には、むしろ互恵の歴史の方がずっと長かったのです。それを象徴するのが朝鮮通信使200年です」

  「韓日友情の年」は2005年だったが、原田議員は「私は今年(07年)が“韓日友情の年”になることを期待していた」と話す。「政府決定だったので(07年には)実現できませんでした。05年はいろいろと良くない意味もありました。韓国に日本の統監府が設置されて100周年だったり…。朝鮮通信使400周年を迎える今年の方がふさわしいですね」

  「私たちの世代(原田議員は1952年生まれ)は交流が難しい世代です。日本は韓国を知らないし、韓国は日本を知らない…。私たちより前の世代は、たとえ植民地時代だったとしても互いを知っているから、酒の1杯でも飲めば通じ合うものがありました。私たちのすぐ下の世代、韓国で“386世代”(1990年代に30歳代で80年代に大学に通った60年代生まれの世代)と言われる人たちは全員が反日・独立・愛国世代だから、私たちの世代よりも難しいです。しかし、今の若い世代は文化的な面において、そういったことを全く気にしません。彼らが成長すれば(両国関係は)かなり変わるでしょう」

  原田議員は1985年から88年までNHKのソウル特派員を務めた。原田議員は「独裁」という暗く陰鬱な印象を胸にソウルにやって来て、「オリンピック」という躍動的な現実を経験しソウルを離れたと話す。「韓国語も、現実も分かりませんでした。“取材しろ”という会社の命令があるだけです。当時、日本のメディアが伝えた韓国は“闇”でした。だから私も他の若者のように韓国が嫌いでした。だが韓国に来てみると、空は青く、人々は明るい。驚きました」

  原田議員は「今、日本には雨森芳洲のような人物が必要です」と訴える。韓国語と中国語に精通していた江戸時代の国際人・雨森芳洲は「誠意と信義の交流」を主張し、当時の朝鮮と日本の関係を真の「信」の関係に高めた人物だ。原田議員は「日韓関係において、あらゆる文化行事が政治に押し流され、消えてしまう時代は終わった」と言う。「しかし、歴史問題があまりにも長く続いているせいで、400年目の朝鮮通信使イベントに対する両国政府や一般の人々の関心はあまり高まってはいないようだ」と残念がった。

東京=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員
朝鮮日報/朝鮮日報JNS


>私も他の若者のように韓国が嫌いでした。

皆同じですよ。

>「朝鮮通信使400年記念行事、関心低く残念」

通信誌の真実が一般に広まれば、もっと残念なことになるでしょう。
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