ウリナラはイスラムに寛大ニダ
投稿者: jgeilsbandfreek 投稿日時: 2007/01/12 06:36 投稿番号: [4017 / 10735]
記事入力 : 2007/01/11 18:31
【萬物相】ソウル梨泰院のイスラム通り
「双花店(ギョーザの店)にギョーザを買いに行ったら、回回親父がわたしの手首を握った。もしうわさが店の外に広まったら、あなたが広めたと言いますよ…」
高麗時代の歌謡「双花店」に登場する「回回親父」とは、アラブからモンゴルに渡り、そこから高麗へやって来たイスラム教徒のことを指す。そうした異邦人が女性客を口説く内容の歌が流行るほど、高麗とイスラム帝国「大食国(ヨーロッパで言うサラセン帝国)」との関係は近かった。
また「三国遺事」は処容(宮廷仮面舞踊「処容舞」で知られる説話の登場人物)を「高くそびえ立った鼻、生い茂った眉、赤い顔」と描写している。これもやはりアラブ人をモデルにしていることがわかる。
イスラム帝国の地理学者イブン・フルダドビは845年に著した地理誌「王国と道路総覧」で「多くのイスラム教徒が韓半島(朝鮮半島)に渡り、定着した」と書いている。
同じくイスラム地理学者のムハンマド・アル・イドリシも1154年の「地理学叢書」に「新羅の人々は犬や猿の首輪も金で作る」と書いている。
高麗の記録にも「玄宗15年(1024年)に礼成江・碧瀾渡(当時の国際貿易港)を通じて入ってきた大食国の商人100人が王に貢ぎ物をささげた」という内容がある。
近年、ソウル龍山区梨泰院洞132番地から漢南洞732番地の一帯に「イスラム地区」が形成されているという。かつてぽつんと立ったイスラム中央聖院モスクを中心に酒場やクラブが立ち並んでいた場所にイスラム教徒が住み着き、次々とイスラム系の書店・飲食店・スーパーマーケットができはじめた。
イスラム聖院モスクは朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が石油外交のため中東を訪問した直後の1976年、無償で提供された約1500坪の土地に国内のイスラム教徒が建てたものだ。
高麗時代に最盛期を迎えた韓国とイスラム圏の関係は朝鮮時代に儒教の影響で途切れたが、1920年にソ連共産党の弾圧を避けて移住してきたトルコ系のイスラム教徒約200人によって再開された。
今や韓国に住むイスラム教徒の人口は韓国人3万5000人を含む10万人に達し、国内に7つのモスクを構えるまでに成長した。 さらに釜山市金井区南山洞には2005年に100メートルほどの「イスラム通り」ができた。
アメリカ同時多発テロ事件をはじめとするテロ事件のため、イスラム教徒をあまり歓迎しない雰囲気があるのは確かだ。しかしイスラムの本来の姿はほかの宗教に寛大であるとともに、酒や姦淫(かんいん)、殺人を禁じ、節制と平和を重視する宗教だ。
道ばたではしたない言動を繰り返す一部の米軍兵士や小競り合いを起こすアフリカ出身者などの代わりに禁欲的なイスラム教徒が目につくようになってから、梨泰院の裏路地の雰囲気が一変したという。事件や事故が減るという思わぬ効果に住民や警察は喜んでいる。
宗教の力で浄化された異国的な通りが、ソウルの新しい名所の一つとして定着してくれたらと思う。
文甲植(ムン・ガプシク)論説委員
朝鮮日報/朝鮮日報JNS
>道ばたではしたない言動を繰り返す一部の米軍兵士や小競り合いを起こすアフリカ出身者
相変わらずの表現。
自分たちのことも省みず。
【萬物相】ソウル梨泰院のイスラム通り
「双花店(ギョーザの店)にギョーザを買いに行ったら、回回親父がわたしの手首を握った。もしうわさが店の外に広まったら、あなたが広めたと言いますよ…」
高麗時代の歌謡「双花店」に登場する「回回親父」とは、アラブからモンゴルに渡り、そこから高麗へやって来たイスラム教徒のことを指す。そうした異邦人が女性客を口説く内容の歌が流行るほど、高麗とイスラム帝国「大食国(ヨーロッパで言うサラセン帝国)」との関係は近かった。
また「三国遺事」は処容(宮廷仮面舞踊「処容舞」で知られる説話の登場人物)を「高くそびえ立った鼻、生い茂った眉、赤い顔」と描写している。これもやはりアラブ人をモデルにしていることがわかる。
イスラム帝国の地理学者イブン・フルダドビは845年に著した地理誌「王国と道路総覧」で「多くのイスラム教徒が韓半島(朝鮮半島)に渡り、定着した」と書いている。
同じくイスラム地理学者のムハンマド・アル・イドリシも1154年の「地理学叢書」に「新羅の人々は犬や猿の首輪も金で作る」と書いている。
高麗の記録にも「玄宗15年(1024年)に礼成江・碧瀾渡(当時の国際貿易港)を通じて入ってきた大食国の商人100人が王に貢ぎ物をささげた」という内容がある。
近年、ソウル龍山区梨泰院洞132番地から漢南洞732番地の一帯に「イスラム地区」が形成されているという。かつてぽつんと立ったイスラム中央聖院モスクを中心に酒場やクラブが立ち並んでいた場所にイスラム教徒が住み着き、次々とイスラム系の書店・飲食店・スーパーマーケットができはじめた。
イスラム聖院モスクは朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が石油外交のため中東を訪問した直後の1976年、無償で提供された約1500坪の土地に国内のイスラム教徒が建てたものだ。
高麗時代に最盛期を迎えた韓国とイスラム圏の関係は朝鮮時代に儒教の影響で途切れたが、1920年にソ連共産党の弾圧を避けて移住してきたトルコ系のイスラム教徒約200人によって再開された。
今や韓国に住むイスラム教徒の人口は韓国人3万5000人を含む10万人に達し、国内に7つのモスクを構えるまでに成長した。 さらに釜山市金井区南山洞には2005年に100メートルほどの「イスラム通り」ができた。
アメリカ同時多発テロ事件をはじめとするテロ事件のため、イスラム教徒をあまり歓迎しない雰囲気があるのは確かだ。しかしイスラムの本来の姿はほかの宗教に寛大であるとともに、酒や姦淫(かんいん)、殺人を禁じ、節制と平和を重視する宗教だ。
道ばたではしたない言動を繰り返す一部の米軍兵士や小競り合いを起こすアフリカ出身者などの代わりに禁欲的なイスラム教徒が目につくようになってから、梨泰院の裏路地の雰囲気が一変したという。事件や事故が減るという思わぬ効果に住民や警察は喜んでいる。
宗教の力で浄化された異国的な通りが、ソウルの新しい名所の一つとして定着してくれたらと思う。
文甲植(ムン・ガプシク)論説委員
朝鮮日報/朝鮮日報JNS
>道ばたではしたない言動を繰り返す一部の米軍兵士や小競り合いを起こすアフリカ出身者
相変わらずの表現。
自分たちのことも省みず。
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