「面白い」サイト発見
投稿者: jgeilsbandfreek 投稿日時: 2007/01/02 11:19 投稿番号: [3918 / 10735]
▼檀君を始祖とする古朝鮮
では、朝鮮の「始まり」について述べよう。朝鮮史は「檀君(ダングン)神話」から始まることになっている。檀君というのは『広辞苑』によると、「朝鮮の開国神話で、天命によって降臨した、古朝鮮の開祖。名は王倹。檀樹の下に降臨した天帝の子恒雄(ファヌン)と熊女(ウンニョオ)との子。平壌に都し、1500年間統治したという。朝鮮民族の始祖・象徴とされ、檀君を崇拝する民間宗教もある。韓国で一時使用された檀君紀元の元年は西暦紀元前2333年。」とある(「一時」とは、大韓民国の初代大統領・李承晩政権下でのこと)。
お分かりのように、日本では神武天皇の役割だ。これが韓国の「国定歴史教科書」にちゃんと載せてある。「古朝鮮」というのは、半島に前漢の植民地である楽浪郡など四郡が置かれるまでの時代を言う。紀元前二世紀の終わり頃までである。朝鮮人はしばしば「朝鮮民族は五千年の歴史と文化を持つ」と言うが、その論拠がこの檀君紀元なのである。古朝鮮の領域は、後ちの中国満州のおよそ南半分と現北朝鮮の北半分にほぼ相当すると同教科書には図示されている。
朝鮮史ではこの古朝鮮がすべての前提である。「朝鮮民族」はかつてこの領域にあり、やがて半島すべてに拡がったというわけだ。だから、高句麗人はもちろん、渤海人もまた、初めから「朝鮮民族」なのである。古朝鮮の記録は、古代日本と同様、中国にしかない。そこでは、周が箕子という殷人を「朝鮮」王に封じた(箕子朝鮮)とあり、次いでその国を衛満という燕(今の北京を都とする分封国)人の武将が襲って奪い、新王朝(衛氏朝鮮)を開いたとある。これを前漢の武帝は倒し、四郡を置いたのだ。
▼「古朝鮮」史を「国民史」と言えるか
わが紀記の建国神話が本当に古来からの言い伝えではないように、建国神話とは意外にも、歴史と同様、作られたものである。たとえ史実の投影があろうとも、せいぜい成立期のその一昔前程度のものにすぎない。檀君神話が顕在化するのは高麗時代のことで、蒙古来襲の十三世紀に僧侶の一然が著した史書『三国遺事』にその神話は初めて明確に語られる。奇妙なことにそこまでの間には、高句麗・百済・新羅が鼎立した三国時代や約260年間の統一新羅の時代が寡黙に横たわっている。
韓国教科書の言い分はこうだ。さすがに実在とはしないが、「檀君」に擬せられる王が生まれるほどに朝鮮文明は十分に熟しており、しだいに古朝鮮王朝として成長していったと。だから、中国文献に登場する伝説の「箕子」とは実は朝鮮人であったか、古朝鮮の一部を担った「中国人」(注)であろうと。また、実在と認めてよい衛満は確かに燕に居たが、「民族」的には朝鮮人であったろう。なぜなら、王都(平壌か)へ入場のとき、「朝鮮民族」の風俗をしており、それに「朝鮮」という国名も引き継いだのだから、と述べる。
(注)これも現在から逆算した奇矯な言い方ではある。たとえその「中国人」を「漢民族」だとしても、現在の漢民族ではないのだから。
「民族」(nation)とは、実は近代国家(nation-state)を前提とした言い方である。まあ、そこまでは言わないまでも、古代人がそのまま現在の国民になったとは言えない。わが日本でも、長らく中央政権に従わなかった関東以東の「毛人」や「蝦夷」は、少なくともその時点では日本「国民」(nation)と呼べないであろう。だから、古代日本史とは正確には日本列島地域史であって、決して日本「国民史」ではないのである。同様に、古代朝鮮史とは朝鮮半島及び満州地域史として理解しなければならない。
にもかかわらず、朝鮮人はなぜ「檀君」を、そして「古朝鮮」を持ち出すのか。言うまでもなく、「朝鮮」の望ましき「始まり」を語りたいがためである。「朝鮮」は中国文明とは独立にあり、かつ現国土よりも広大な領土を有する「民族」であったと語りたいがためである。揚げ足を取るようで心苦しいが、檀君紀元とは中国の堯舜神話の堯帝即位年から弾き出されたものである(注)。それに、古朝鮮の版図とは「朝鮮民族」ではなくツングース族の拡がりであり、それはかえって「民族」の起源について馬脚を晒してしまっている格好なのである。
(注)全くわが神武紀元と同様、後世の操作によって作られた代物である。そうしなければならなかったことは、「朝鮮」への中国文明の影の深甚さを逆証明する。
では、朝鮮の「始まり」について述べよう。朝鮮史は「檀君(ダングン)神話」から始まることになっている。檀君というのは『広辞苑』によると、「朝鮮の開国神話で、天命によって降臨した、古朝鮮の開祖。名は王倹。檀樹の下に降臨した天帝の子恒雄(ファヌン)と熊女(ウンニョオ)との子。平壌に都し、1500年間統治したという。朝鮮民族の始祖・象徴とされ、檀君を崇拝する民間宗教もある。韓国で一時使用された檀君紀元の元年は西暦紀元前2333年。」とある(「一時」とは、大韓民国の初代大統領・李承晩政権下でのこと)。
お分かりのように、日本では神武天皇の役割だ。これが韓国の「国定歴史教科書」にちゃんと載せてある。「古朝鮮」というのは、半島に前漢の植民地である楽浪郡など四郡が置かれるまでの時代を言う。紀元前二世紀の終わり頃までである。朝鮮人はしばしば「朝鮮民族は五千年の歴史と文化を持つ」と言うが、その論拠がこの檀君紀元なのである。古朝鮮の領域は、後ちの中国満州のおよそ南半分と現北朝鮮の北半分にほぼ相当すると同教科書には図示されている。
朝鮮史ではこの古朝鮮がすべての前提である。「朝鮮民族」はかつてこの領域にあり、やがて半島すべてに拡がったというわけだ。だから、高句麗人はもちろん、渤海人もまた、初めから「朝鮮民族」なのである。古朝鮮の記録は、古代日本と同様、中国にしかない。そこでは、周が箕子という殷人を「朝鮮」王に封じた(箕子朝鮮)とあり、次いでその国を衛満という燕(今の北京を都とする分封国)人の武将が襲って奪い、新王朝(衛氏朝鮮)を開いたとある。これを前漢の武帝は倒し、四郡を置いたのだ。
▼「古朝鮮」史を「国民史」と言えるか
わが紀記の建国神話が本当に古来からの言い伝えではないように、建国神話とは意外にも、歴史と同様、作られたものである。たとえ史実の投影があろうとも、せいぜい成立期のその一昔前程度のものにすぎない。檀君神話が顕在化するのは高麗時代のことで、蒙古来襲の十三世紀に僧侶の一然が著した史書『三国遺事』にその神話は初めて明確に語られる。奇妙なことにそこまでの間には、高句麗・百済・新羅が鼎立した三国時代や約260年間の統一新羅の時代が寡黙に横たわっている。
韓国教科書の言い分はこうだ。さすがに実在とはしないが、「檀君」に擬せられる王が生まれるほどに朝鮮文明は十分に熟しており、しだいに古朝鮮王朝として成長していったと。だから、中国文献に登場する伝説の「箕子」とは実は朝鮮人であったか、古朝鮮の一部を担った「中国人」(注)であろうと。また、実在と認めてよい衛満は確かに燕に居たが、「民族」的には朝鮮人であったろう。なぜなら、王都(平壌か)へ入場のとき、「朝鮮民族」の風俗をしており、それに「朝鮮」という国名も引き継いだのだから、と述べる。
(注)これも現在から逆算した奇矯な言い方ではある。たとえその「中国人」を「漢民族」だとしても、現在の漢民族ではないのだから。
「民族」(nation)とは、実は近代国家(nation-state)を前提とした言い方である。まあ、そこまでは言わないまでも、古代人がそのまま現在の国民になったとは言えない。わが日本でも、長らく中央政権に従わなかった関東以東の「毛人」や「蝦夷」は、少なくともその時点では日本「国民」(nation)と呼べないであろう。だから、古代日本史とは正確には日本列島地域史であって、決して日本「国民史」ではないのである。同様に、古代朝鮮史とは朝鮮半島及び満州地域史として理解しなければならない。
にもかかわらず、朝鮮人はなぜ「檀君」を、そして「古朝鮮」を持ち出すのか。言うまでもなく、「朝鮮」の望ましき「始まり」を語りたいがためである。「朝鮮」は中国文明とは独立にあり、かつ現国土よりも広大な領土を有する「民族」であったと語りたいがためである。揚げ足を取るようで心苦しいが、檀君紀元とは中国の堯舜神話の堯帝即位年から弾き出されたものである(注)。それに、古朝鮮の版図とは「朝鮮民族」ではなくツングース族の拡がりであり、それはかえって「民族」の起源について馬脚を晒してしまっている格好なのである。
(注)全くわが神武紀元と同様、後世の操作によって作られた代物である。そうしなければならなかったことは、「朝鮮」への中国文明の影の深甚さを逆証明する。
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