割と面白かったコラム
投稿者: jgeilsbandfreek 投稿日時: 2006/12/18 10:54 投稿番号: [3772 / 10735]
生協の白石さんと金日成:タイトルで「きむいるそん」とひらがな入力をすると
IME漢字変換で、「金日成」と表示された。
ついでに、息子の「きむじょんいる」を入力すると、「金正日」に変換。
変換あそびも面白い。
「あべしんぞう」と入力すると「阿部信三」の漢字変換となった。
昭和天皇の「ひろひと」は「博仁」。
今上天皇の「あきひと」は「明人」。
前総理大臣の「こいずみじゅんいちろう」は「小泉潤一郎」と変換された。
たぶん、メイドイン・朝鮮のソフトなのだろう。
中学1年の時に、私は、図書委員をしていた。
本の購入会議で、あるベストセラー本の購入を提案した。
どんな本だったか、忘れてしまったけど、顧問の先生の忠告は、図書館が変貌するという先読みの答えだった。
少なくとも、1年待て。・・・というもの。
まるで松本清張の小説か、ハウツー本のタイトルみたいだが、顧問の先生の説明はこんな風だった。
ベストセラーは一種の流行だから、どうせそのうち飽きる。しかし図書館はずっと続くから、図書館であって、本屋じゃないんだ。そこに備えておくべき本は、やはり後々も後輩たちがずっと読める、楽しめる、参考になる一種の普遍性を有した本であるべきだ。
図書選択の考え方は、いろいろあっていいけれど、中学1年生の私は、一つの考え方を学ぶことになった。
たとえば、ほんの半年ほど前と今の「生協の白石さん」という本を思い描いてみれば、顧問の先生の言葉が正しいことがわかる。
公立図書名ではまだ貸し出しされているが、激しい流行を過ぎた空疎さや時代遅れ感がなんとも寒くて痛々しい。
この本は、私が住む区の公立図書館にも溢れている。60冊以上も揃えられており、人気絶頂の時は、予約数は500人、1000人の行列待ち。2週間の貸し出し期間だから、いったいどれくらい待てば読めるのだろうか、と気が遠くなりかけた人もいただろう。
今は、スイスイ貸し出しできる。しかし、後2年も経てば、色あせてしまうのは明らかだ。
本来、こういう本は、公立図書館で揃える本ではないと思う。理由は、あの顧問の先生の考え方に納得できるからだ。
以前、公立図書館に苦情を言ったことがある。
棚にベストセラーがずいぶんありますが、すぐに飽きるあのような本を置くより、もっと良質な本の購入に予算を割いてくれませんか。
すると、図書係は、
利用者が読みたいという本を揃えるのも公立図書館の役目なんですよ。
と、公務員特有の「一回は反論しないと満足できない態度」を示した。だから、60冊という「白石さん」がそろっているのだ。
しかしなあ・・・あの手の本は区なら3冊も揃えておけば十分じゃないか。どうせ一回読めば終わり。「ねえ、白石さん読んだ?」「うん見た、見たよ」、この手の話だ。流行本に税金使うな、自腹で買うか立ち読みでもしろ。
と、言いたい。
ついでにもう一つ。
流行本を揃えることに私が苦情を言った当時は、まだその図書館では、コンピュータが導入されず、本の最後のページの裏に張ってある貸出表で、利用の履歴が残る時代だった。
私が時々利用したりした歴史本で、その貸出表には2年ほどで10回ぐらいの利用があった。
ある日、それを借りたいので図書館に出かけると、すでに中央図書館の保存庫に移されていた。
なぜですか?
と、私は図書係に尋ねた。係の答えは、「利用者が少ない」というものだった。つまり、良質の本は利用者が少ない=保存庫行き・・・ってことか?
そこで私は、
では、20巻以上もある、チュチュ思想の金日成の本は、なぜ置いてあるのですか。何か飾り物として意味があるんですか。
と、聞いてみた。
あれは、貸し出されているはずですが。
というのが、図書係りの答え。ここでも「とりあえず反論したい公務員癖」を示され、さらに不愉快になる。
私は次のように言ってみた。
利用表を見ますと、貸し出し回数はゼロです。つまり誰も借りない本を20冊以上も閲覧棚に置いておいて、利用回数が10回もある、今私が必要とする本が倉庫の奥にしまわれたわけで、これって、区民のニーズに答えていませんよ。
図書係は、仏頂面で、そうですね、と答えた。
こちらが忘れた頃に、あの閲覧棚を見てみたら、将軍様のお父様の本一式はそっくり消えていた。
ニッカンスポ−ツから。
ついでに、息子の「きむじょんいる」を入力すると、「金正日」に変換。
変換あそびも面白い。
「あべしんぞう」と入力すると「阿部信三」の漢字変換となった。
昭和天皇の「ひろひと」は「博仁」。
今上天皇の「あきひと」は「明人」。
前総理大臣の「こいずみじゅんいちろう」は「小泉潤一郎」と変換された。
たぶん、メイドイン・朝鮮のソフトなのだろう。
中学1年の時に、私は、図書委員をしていた。
本の購入会議で、あるベストセラー本の購入を提案した。
どんな本だったか、忘れてしまったけど、顧問の先生の忠告は、図書館が変貌するという先読みの答えだった。
少なくとも、1年待て。・・・というもの。
まるで松本清張の小説か、ハウツー本のタイトルみたいだが、顧問の先生の説明はこんな風だった。
ベストセラーは一種の流行だから、どうせそのうち飽きる。しかし図書館はずっと続くから、図書館であって、本屋じゃないんだ。そこに備えておくべき本は、やはり後々も後輩たちがずっと読める、楽しめる、参考になる一種の普遍性を有した本であるべきだ。
図書選択の考え方は、いろいろあっていいけれど、中学1年生の私は、一つの考え方を学ぶことになった。
たとえば、ほんの半年ほど前と今の「生協の白石さん」という本を思い描いてみれば、顧問の先生の言葉が正しいことがわかる。
公立図書名ではまだ貸し出しされているが、激しい流行を過ぎた空疎さや時代遅れ感がなんとも寒くて痛々しい。
この本は、私が住む区の公立図書館にも溢れている。60冊以上も揃えられており、人気絶頂の時は、予約数は500人、1000人の行列待ち。2週間の貸し出し期間だから、いったいどれくらい待てば読めるのだろうか、と気が遠くなりかけた人もいただろう。
今は、スイスイ貸し出しできる。しかし、後2年も経てば、色あせてしまうのは明らかだ。
本来、こういう本は、公立図書館で揃える本ではないと思う。理由は、あの顧問の先生の考え方に納得できるからだ。
以前、公立図書館に苦情を言ったことがある。
棚にベストセラーがずいぶんありますが、すぐに飽きるあのような本を置くより、もっと良質な本の購入に予算を割いてくれませんか。
すると、図書係は、
利用者が読みたいという本を揃えるのも公立図書館の役目なんですよ。
と、公務員特有の「一回は反論しないと満足できない態度」を示した。だから、60冊という「白石さん」がそろっているのだ。
しかしなあ・・・あの手の本は区なら3冊も揃えておけば十分じゃないか。どうせ一回読めば終わり。「ねえ、白石さん読んだ?」「うん見た、見たよ」、この手の話だ。流行本に税金使うな、自腹で買うか立ち読みでもしろ。
と、言いたい。
ついでにもう一つ。
流行本を揃えることに私が苦情を言った当時は、まだその図書館では、コンピュータが導入されず、本の最後のページの裏に張ってある貸出表で、利用の履歴が残る時代だった。
私が時々利用したりした歴史本で、その貸出表には2年ほどで10回ぐらいの利用があった。
ある日、それを借りたいので図書館に出かけると、すでに中央図書館の保存庫に移されていた。
なぜですか?
と、私は図書係に尋ねた。係の答えは、「利用者が少ない」というものだった。つまり、良質の本は利用者が少ない=保存庫行き・・・ってことか?
そこで私は、
では、20巻以上もある、チュチュ思想の金日成の本は、なぜ置いてあるのですか。何か飾り物として意味があるんですか。
と、聞いてみた。
あれは、貸し出されているはずですが。
というのが、図書係りの答え。ここでも「とりあえず反論したい公務員癖」を示され、さらに不愉快になる。
私は次のように言ってみた。
利用表を見ますと、貸し出し回数はゼロです。つまり誰も借りない本を20冊以上も閲覧棚に置いておいて、利用回数が10回もある、今私が必要とする本が倉庫の奥にしまわれたわけで、これって、区民のニーズに答えていませんよ。
図書係は、仏頂面で、そうですね、と答えた。
こちらが忘れた頃に、あの閲覧棚を見てみたら、将軍様のお父様の本一式はそっくり消えていた。
ニッカンスポ−ツから。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/dabaafl1b2_1/3772.html