Re: イルボンは「突撃一番」を反省汁!
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/11/18 03:02 投稿番号: [1710 / 4092]
一部、コピー間違いをしましたので、訂正投稿。
浦田耕作『 誰も書かなかった 日本陸軍』
おかしな課外授業の花柳病(性病感染症)予防教育
陸軍式小便消毒法よりも軍用コンドームの突撃一番 551頁
2003年8月11日 第1版第1刷発行 著者:浦田耕作 発行者:江口克彦 発行所:PHP研究所
『(前略)
日本陸軍の物品販売所で売っていった軍用のコンドームは、「突撃一番」が最も有名で、青い一色刷で「突撃一番」の文字と、鉄帽と軍刀の絵がついていた。
「大和魂」というのもあった。
日本海軍の物品販売所で売っていたコンドームは、「小夜衣」という優雅な商品名で、百人一首に描かれているような平安時代のお姫様の絵がついていた。
コンドームを、物品販売所で安い価格で売るようになってから、軍隊での兵隊さんの花柳病は激減することになる。
軍隊では、外出の服装検査の際に、手に「突撃一番」を乗せて検査を受け、「突撃一番」を持っていなければ外出ができなかったなどと、まことしやかに書いている人がいる。
私のいた第三十一航空通信連隊はもとより、陸軍航空通信学校の教導隊でも、第十三航空通信連隊でも、外出時にコンドームの携帯検査などは行わなかった。
私も、週番勤務について、外出時の服装検査にも立ち会ったが、そのようなことはしなかった。
(中略)
ちなみに、軍隊では、「遊郭」を、「慰安所」と呼んでいた。そこにいる女性を、堅苦しい言葉では「娼妓」といい、普通には、「お女郎さん」や「おやまさん」と呼んでいた。「慰安婦」ましてや[従軍慰安婦」などという言葉は、内地の部隊では使われていなかった。内地には従軍慰安婦の存在もなかった。
戦場での慰安所は、兵隊さんが占領地の女性を犯すのを防ぐためと、花柳病に感染するのを防ぐために、内地の遊郭の主人などが、娼妓さんや芸者さんを引き連れて開設したものである。歌ったり芸を見せるだけで、売春をしない芸者さんもいた。
慰安所は、副官部などの管理下にあって、衛生管理は軍医部の管理下にあったが、軍が設営したものではなかった。』
浦田耕作(うらた こうさく)
昭和 4年 3月10日京都市生まれ
昭和16年 4月 同志社中学入学
昭和19年 8月 陸軍特別幹部候補生として第31航空通信連隊(兵庫県篠山町)入営。陸軍一等兵(15歳)
(中略)
昭和20年 8月 第13航空通信聯隊関東松山合同通信所に分遣
昭和20年 8月 陸軍軍曹任官(終戦による特別措置・陸軍史上最年少16歳5ヵ月)
昭和20年 9月 終戦により帰休除隊
昭和20年10月 同志社中学復学
昭和21年 6月 陸軍現役満期
昭和22年 3月 同志社中学卒業
昭和26年 3月 京都薬学専門学校卒業
昭和26年 4月 自家薬局業務に従事
昭和46年 6月 薬事評論家(ペンネーム・京極三朗)
平成 7年 4月 陸上自衛隊中部方面隊(中部方面総監部)オピニオンリーダー委嘱
平成11年 4月 陸上自衛隊中部方面隊オピニオンリーダーOB会「丹櫻会」創立。
幹事兼事務局長
平成13年 3月 陸上自衛隊中部方面隊オピニオンリーダー委嘱終了
現在、薬事評論家、京都薬科大学非常勤講師
浦田耕作『 誰も書かなかった 日本陸軍』
おかしな課外授業の花柳病(性病感染症)予防教育
陸軍式小便消毒法よりも軍用コンドームの突撃一番 551頁
2003年8月11日 第1版第1刷発行 著者:浦田耕作 発行者:江口克彦 発行所:PHP研究所
『(前略)
日本陸軍の物品販売所で売っていった軍用のコンドームは、「突撃一番」が最も有名で、青い一色刷で「突撃一番」の文字と、鉄帽と軍刀の絵がついていた。
「大和魂」というのもあった。
日本海軍の物品販売所で売っていたコンドームは、「小夜衣」という優雅な商品名で、百人一首に描かれているような平安時代のお姫様の絵がついていた。
コンドームを、物品販売所で安い価格で売るようになってから、軍隊での兵隊さんの花柳病は激減することになる。
軍隊では、外出の服装検査の際に、手に「突撃一番」を乗せて検査を受け、「突撃一番」を持っていなければ外出ができなかったなどと、まことしやかに書いている人がいる。
私のいた第三十一航空通信連隊はもとより、陸軍航空通信学校の教導隊でも、第十三航空通信連隊でも、外出時にコンドームの携帯検査などは行わなかった。
私も、週番勤務について、外出時の服装検査にも立ち会ったが、そのようなことはしなかった。
(中略)
ちなみに、軍隊では、「遊郭」を、「慰安所」と呼んでいた。そこにいる女性を、堅苦しい言葉では「娼妓」といい、普通には、「お女郎さん」や「おやまさん」と呼んでいた。「慰安婦」ましてや[従軍慰安婦」などという言葉は、内地の部隊では使われていなかった。内地には従軍慰安婦の存在もなかった。
戦場での慰安所は、兵隊さんが占領地の女性を犯すのを防ぐためと、花柳病に感染するのを防ぐために、内地の遊郭の主人などが、娼妓さんや芸者さんを引き連れて開設したものである。歌ったり芸を見せるだけで、売春をしない芸者さんもいた。
慰安所は、副官部などの管理下にあって、衛生管理は軍医部の管理下にあったが、軍が設営したものではなかった。』
浦田耕作(うらた こうさく)
昭和 4年 3月10日京都市生まれ
昭和16年 4月 同志社中学入学
昭和19年 8月 陸軍特別幹部候補生として第31航空通信連隊(兵庫県篠山町)入営。陸軍一等兵(15歳)
(中略)
昭和20年 8月 第13航空通信聯隊関東松山合同通信所に分遣
昭和20年 8月 陸軍軍曹任官(終戦による特別措置・陸軍史上最年少16歳5ヵ月)
昭和20年 9月 終戦により帰休除隊
昭和20年10月 同志社中学復学
昭和21年 6月 陸軍現役満期
昭和22年 3月 同志社中学卒業
昭和26年 3月 京都薬学専門学校卒業
昭和26年 4月 自家薬局業務に従事
昭和46年 6月 薬事評論家(ペンネーム・京極三朗)
平成 7年 4月 陸上自衛隊中部方面隊(中部方面総監部)オピニオンリーダー委嘱
平成11年 4月 陸上自衛隊中部方面隊オピニオンリーダーOB会「丹櫻会」創立。
幹事兼事務局長
平成13年 3月 陸上自衛隊中部方面隊オピニオンリーダー委嘱終了
現在、薬事評論家、京都薬科大学非常勤講師
これは メッセージ 1709 (trip_in_the_night さん)への返信です.
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