日本でトウガラシを高麗草と呼ぶニダ
投稿者: doronpa95 投稿日時: 2011/02/07 23:01 投稿番号: [5566 / 6487]
ttp://img.hankyung.com/photo/201102/2011020147491_2011020575031.jpg
我が国では、いつからキムチを食べていたのだろうか。古代からの野菜を発酵させた食べ物が存在したはずだが、今日のような形でキムチが定着した時期は、朝鮮時代であったと思われる。
(中略=キムチの歴史)
私たちの文献記録を見れば何か奇妙な点がある。キムチの薬味の中に唐辛子がないから辛い味は出なかっただろうし、何より白菜を使わなかったので私たちが今たくさん食べている白菜漬けキムチがないことが分かる。白菜キムチが初めて登場するのは朝鮮中葉からだ。《増補山林経済》(1766)にキムチの材料として白菜が見られるが、ただしこの時期に広く使われたようではない。
我が国は本来、白菜栽培が容易ではなく19世紀になって初めて良い白菜がたくさん出てきた。この点やはり文献で確認できる。1809年に出た《閨閤叢書》に様々な種類のキムチが出てくるが、まだ白菜漬けキムチは見られない。白菜漬けキムチを初めて取り上げ論じた本は19世紀末に出た料理本《是議全書》だ。恐らく中国の湖北地方原産の白菜の種子が我が国に入って土着化した
のは1850年頃と考えられる。
「白菜」という言葉も「白簳」から出たのだろう。なので我が国の人々が白菜のキムチを一般的にたくさん食べたのは事実上150年ほどに過ぎない。ユン・ソソク先生の 《食生活文化の歴史》にこのような内容がすべて出ている。
薬味でたくさん使われる唐辛子の導入もやはり重要な問題だ。中南米が原産地の唐辛子はどのようにして我が国まで入ってきたのだろうか。
(中略=トウガラシの歴史。コロンブスの発見から)
韓国や中国、日本など東アジアに唐辛子がどんな経路に入ってきたか正確な追跡は難しい。食べ物の歴史を研究する学者らが共通して話すところではある食材が原産地から他の地域に伝播する過程は一般に考えられているよりはるかに複雑だということだ。これは唐辛子の場合も同じだ。我が国では唐辛子が日本から韓半島に入ってきたと見る見解が優勢だ。私たちの文献にそのような形で多く記述されているためだ。
《五洲衍文長箋散稿》巻10には「蕃椒を郷名で苦草という。南瓜は俗称カボチャと称する。二つとも本来南蕃から来ているので苦草を南蕃椒と言いカボチャはまた號瓜という」とされている。《芝峯類設》巻20には「南蕃椒には毒がある。倭国から始めてきたものであり、俗称倭芥子という」とされていて日本を通じて唐辛子が入ってきたと見ている。
ところが日本では逆に我が国を通じて唐辛子が伝来したとして高麗草と呼んだという。恐らく同じような時期に韓・中・日三国に唐辛子が伝来したものと見られる。
古代以来の食品の伝統と中国の白菜、中南米の唐辛子が加わり私たちが好んで食べる白菜のキムチが完成された。それは思ったより近い過去のことだ。檀君以来食べたと思っているかも知れないが、事実は白菜キムチは近代以後にできた世界化の産物である。
チュ・ギョンチョル<ソウル大西洋史学科教授>
出た、アホのソウル大
我が国では、いつからキムチを食べていたのだろうか。古代からの野菜を発酵させた食べ物が存在したはずだが、今日のような形でキムチが定着した時期は、朝鮮時代であったと思われる。
(中略=キムチの歴史)
私たちの文献記録を見れば何か奇妙な点がある。キムチの薬味の中に唐辛子がないから辛い味は出なかっただろうし、何より白菜を使わなかったので私たちが今たくさん食べている白菜漬けキムチがないことが分かる。白菜キムチが初めて登場するのは朝鮮中葉からだ。《増補山林経済》(1766)にキムチの材料として白菜が見られるが、ただしこの時期に広く使われたようではない。
我が国は本来、白菜栽培が容易ではなく19世紀になって初めて良い白菜がたくさん出てきた。この点やはり文献で確認できる。1809年に出た《閨閤叢書》に様々な種類のキムチが出てくるが、まだ白菜漬けキムチは見られない。白菜漬けキムチを初めて取り上げ論じた本は19世紀末に出た料理本《是議全書》だ。恐らく中国の湖北地方原産の白菜の種子が我が国に入って土着化した
のは1850年頃と考えられる。
「白菜」という言葉も「白簳」から出たのだろう。なので我が国の人々が白菜のキムチを一般的にたくさん食べたのは事実上150年ほどに過ぎない。ユン・ソソク先生の 《食生活文化の歴史》にこのような内容がすべて出ている。
薬味でたくさん使われる唐辛子の導入もやはり重要な問題だ。中南米が原産地の唐辛子はどのようにして我が国まで入ってきたのだろうか。
(中略=トウガラシの歴史。コロンブスの発見から)
韓国や中国、日本など東アジアに唐辛子がどんな経路に入ってきたか正確な追跡は難しい。食べ物の歴史を研究する学者らが共通して話すところではある食材が原産地から他の地域に伝播する過程は一般に考えられているよりはるかに複雑だということだ。これは唐辛子の場合も同じだ。我が国では唐辛子が日本から韓半島に入ってきたと見る見解が優勢だ。私たちの文献にそのような形で多く記述されているためだ。
《五洲衍文長箋散稿》巻10には「蕃椒を郷名で苦草という。南瓜は俗称カボチャと称する。二つとも本来南蕃から来ているので苦草を南蕃椒と言いカボチャはまた號瓜という」とされている。《芝峯類設》巻20には「南蕃椒には毒がある。倭国から始めてきたものであり、俗称倭芥子という」とされていて日本を通じて唐辛子が入ってきたと見ている。
ところが日本では逆に我が国を通じて唐辛子が伝来したとして高麗草と呼んだという。恐らく同じような時期に韓・中・日三国に唐辛子が伝来したものと見られる。
古代以来の食品の伝統と中国の白菜、中南米の唐辛子が加わり私たちが好んで食べる白菜のキムチが完成された。それは思ったより近い過去のことだ。檀君以来食べたと思っているかも知れないが、事実は白菜キムチは近代以後にできた世界化の産物である。
チュ・ギョンチョル<ソウル大西洋史学科教授>
出た、アホのソウル大
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