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寿司の達人

投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2008/04/08 15:43 投稿番号: [2856 / 6487]
記事入力 : 2008/04/08 09:32:41
日本の漫画に登場、「寿司の達人」アン・ヒョジュさん

アン・ヒョジュさんは日本料理店の経営者となった現在も、毎日店で寿司を握っている。アンさんは「僕の顔を見るために店に来てくださるお客さまに誠意を尽くしたい」と話す。「わたしの誠意をお客さまに伝えたいからです。僕は話のうまい方ではないので、行動と心で誠意を尽くし、もてなしたいと思っています。お客さまもわたしのそんな気持ちを感じてくださっているようです。祖父、息子、孫と何代にもわたって食べに来てくださるお客さまが一番ありがたい」   「料理は戦いです。料理人の指先は新しい味を求める顧客の舌と見えない対決をしているのです。わたしの料理人生も長くなってきたので、この戦いで勝つためには精神力が必要だということを後輩たちに教えたい」

  2000年、日本の漫画『将太の寿司 』第17巻に「水参(掘り出してまだ乾かしていない高麗人参)寿司」を作る韓国の料理人として登場し話題になった「寿司の達人」アン・ヒョジュさん(50)が、30年間の料理人生を振り返る本を出版した。題名は『アン・ヒョジュ、指先で世の中と通じる』(モミの森刊)。料理の本ではなくエッセイ集を出したのはこれが初めてのことだ。2日に行われた電話インタビューでアンさんは、「子どものことから料理人になることを夢見てきたわけではありません。生活のため日本料理店に就職し、料理に魅せられました」と料理人生の出発地点を振り返る。

  約30年前、まだ高校生だったアンさんはボクサーになるのが夢だった。高校2年のときには全国高校生選手権大会のフライ級で準優勝したこともある。世界チャンピオンになる夢を抱き、全羅北道南原市から上京したアンさんは、寝床と食事が解決できるという点に惹かれ、友人が厨房で働いていたソウル明洞の日本料理店を訪ね、「皿洗い」として就職した。そして1984年。軍隊を除隊し、再びその日本料理店で働き始め、刺し身、寿司、天ぷらなどの作り方を教わっていくうちに、徐々に日本料理の世界に魅了されていった。

  アンさんは「包丁で手を切り8針縫ったときも、料理を習うことの方が楽しくて、痛みすら感じなかったほど」と話す。現在、アンさんは片手で酢飯を握ると、米粒が常にちょうど350粒になるという境地にまで達した。

  「料理をしているうちに、自分に料理の素質があることに気が付きました。味覚のセンスというか…。母は料理がとても上手でしたが、キムチを漬けるときはいつも僕に味見をさせていました」

  85年、アンさんは料理の師匠の推薦を受け、新羅ホテルの日本料理店に就職、99年に41歳で料理長になった。漫画『 将太の寿司 』を描いた寺沢大介さんに出会ったのもこのころだ。「『将太の寿司』に出てきたメニューを再現するイベントを開催し、作家を招待したところ、寺沢さんから『日本にはない寿司をひとつ作ってほしい』と言われました。考えた末に作ったのが水参の寿司だったのです」

  朝鮮人参は苦いものと決めつけていた寺沢さんは、サクサクとしていて醤油の味が染み込んだ水参の味に感嘆し、漫画に紹介するまでに至った。

  今回のエッセイ集でアンさんは「顧客との疎通」を重視する料理哲学を強調した。料理にほとんど命をかけているような日本の料理人のプロ精神に感嘆し、顧客のさまざまな好みに合わせるため全力を傾け始めた。最近は顧客の職業、肩書き、好み、家族関係などをすべて手帳に書き込んで覚えるようにしているという。

  03年に新羅ホテルを出て、ソウル清潭洞に日本料理店を出したアンさんは現在、ソウル市内に三つの支店を持つ日本料理店の経営者となった。現在も毎日、昼と夜に店に出て自ら腕を振るっている。

クァク・アラム記者
朝鮮日報/朝鮮日報JNS


ホルホルというかホロホロだなあ。
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