竹島

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原文(拙訳:小生)

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2003/01/28 21:59 投稿番号: [954 / 18519]
以下提示します。月日は陰暦で表示。句読点は筆者。

高宗 18年 5月 22日(癸未) (筆者注:1981年)先だって江原道鬱陵島へ日本人 7名が潛入し伐木せしを該島搜討官の看審時に發見した. 該道觀察使 朴翰洙は具由馳啓して、近日日本船の去來が無常であるが此島を指點して、その弊が無くはないので、これに對し稟處するを請す. 統理機務衙門の啓言により、これに對する書契を日本國外務省に轉致せしめ, また 副護軍李奎遠を鬱陵島檢察使に差下し馳往常度して稟覆せしめる.

(承政院日記 高宗 18年 5月 22日 日省録 高宗 18年 5月 22日 高宗實録 高宗 18年 5月 22日 同文彙考附編續 1 邊禁 2 政治日記 辛巳年 5月 23日 通文志卷 11 紀年續編今上 18年 善隣始末附録 竹島始末)


高宗 19年 6月 5日(己未) 鬱陵島檢察使 李奎遠復命せり. 鬱陵島は開拓すれば民が樂從するであろうし、船漢、藥商等にも試問せしところ、樂從する意が多く、内陸人が多數入島して造船採?採鰒するが湖南人が最多である. その外、他道人たちは皆采藥が主であるという. また、倭人たちが立標して松島とせしは、それは 前より相詰しおり、花房養質へ一次公翰を送らざるを得ず、また、日本外務省へも致書し、日本側の誤りを正さねばならなぬとせり. 王は、その意で總理大臣及 時相へ云い実施せしめんと、一時も放棄できず、片土も捨てられぬとした.

(承政院日記 高宗 19年 6月 5日 日省録 高宗 19年 6月 5日 高宗實録 高宗 19年 6月 5日)
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