鬱陵島調査(1882,1900)では
投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/05/23 15:29 投稿番号: [9513 / 18519]
1882[5]
韓国・李奎遠が鬱陵島調査するもその属島の認識は竹嶼までで現・竹島は存在に気付かず。
欝陵島最高峰聖人峰より「四望し、海中の先に一点の島嶼の見形無し」(『鬱陵島検察使日記』)。
日記で付属島名(非・岩礁名)は竹島(竹嶼)と島頂(観音島)の2島のみ。00年勅令内容を類推させる。
1900(明治33年)韓国・禹用鼎が鬱陵島周辺を調査/6月に報告書を提出。現・竹島への言及なし。
[10/25]
報告書を元に韓国、勅令41号を発布。「石島」記述があるが、禹の報告書からして≠現・竹島
[9/23]
韓国「皇城新聞」「付属する小六島の中で、最も顕著な島は、于山島と竹島」。現・竹島は無し
Okino;
1882,1900年の二度にわたる鬱陵島調査するも松島発見出来ず,だから
仮に1877年の「他一島」が松島でも上記に記したごとく朝鮮領では無い
いわゆる朝鮮側から見ると無主地と成るのである
これは メッセージ 9510 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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