『隠州視聴合記』と『大日本史』1に思う
投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/05/07 01:15 投稿番号: [9308 / 18519]
『隠州視聴合記』と『大日本史』1
>『隠州視聴合記』斉藤豊仙(1667)は地方政府の公文書という性格・・・
以前、最低の評価をこの書に下した人の豹変振りに驚かされます。それもこれも、この人の本質にかわりはありませんね。
>【理由1】
> 私は同書にある「知夫郡 焼火山縁起」の記述に注目しています。そこで竹島(鬱陵島)は「伯耆国の大賈 村川氏、官より朱印を賜り、大舶を磯竹島へ致す(注4)」と書かれました。
> これから著者の斉藤豊仙は、磯竹島、すなわち竹島(鬱陵島)を朱印船がいくような島と理解していたことがわかります。朱印船とはいうまでもなく、外国へ渡航することを江戸幕府から許された船をさします。
> そうなると、竹島(鬱陵島)は異国の地であり、同書における記述「日本の北西地はこの州をもって限りとなす」の「この州」は竹島(鬱陵島)ではなく、やはり隠州になります。
VIVA_VIVA_21 さんによる懇切な解説でこの人の虚偽(真実を知らず犯す論理の誤謬)或いは詭弁(意識的に犯す論理の誤謬)が明らかにされました。(朱印船は禁教令に伴い、寛永10年(1633年)から5度にわたって出された鎖国令のなかの第3次鎖国令により、寛永12年(1635年)日本船の海外渡航及び帰国全面禁止となり、朱印船貿易は完全に途絶しました)。
上の文章の「そうなると、竹島(鬱陵島)は異国の地であり、同書における記述「日本の北西地はこの州をもって限りとなすの「この州」は竹島(鬱陵島)ではなく、やはり隠州になります」の論理の飛躍はさておいて、何れにしろ朱印船の根拠を失い【理由1】は完全に論理の破綻を見ております。即ち、「日本の北西地はこの州をもって限りとなす」の州は磯竹島で有ることを論破できませんね。
>【理由2】
> 「大日本史」によれば、『隠州視聴合記』からは竹島(鬱陵島)と松島(竹島=独島)は隠岐国すなわち隠州付属ではないということが読みとれます。これについてはすでに詳述したので(注5)、ここでは要点のみを書きます。『大日本史』は隠岐国についてこう記しました。
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>『大日本史』巻308,志3、隠岐国4郡
隠岐の国、下、・・・ 『大日本史』巻308,志3、隠岐国4郡
隠岐の国、下、・・・隱岐國、下、(延喜式○一作淤岐、或意岐)、又曰隱伎三子島、(古事記○按國在海中、故名、邦言謂海洋爲澳。隱岐即澳也)、 凡四島、分曰島前、島後、(隱州視聴合記、隱岐國圖、○属島一百七十九、總稱曰隱岐小島)、別有松島、竹島屬之、(隱岐古記。隱岐紀行、○按自隱地郡蘄浦、至松島海上六十九里、至竹島百里四町、韓人稱竹島曰鬱陵島、已曰竹島、曰松島、爲我版圖、不待智者而知也、附以備考) ・・・
> 同書は『隠州視聴合記』の記述を引用したときは松島と竹島を隠岐国に入れず、それと別に隠岐古記(1823)や隠岐紀行を引用してはじめて松島、竹島を隠岐国所属としました。しかも、それらの史料においてなぜ松島、竹島が「我が版図」になったのかよくわからないので識者を待つと率直に記しました。
> これは、大谷家や村川家による竹島(鬱陵島)渡海事業、すなわち竹島(鬱陵島)侵略の実績が長年つみかさねられた結果、隠岐国の人々が両島をおのずと隠岐国所属と考えるようになったことを反映したと思われます。
この人の勝手読みとでも言いましょうか、隠州は幕府より預かり地のため出雲藩士斉藤豊仙がこのように記載したのは当然です。分限を越える記載は当時としては出来なくて当然でしょう。但し、陪臣といえども幕府の臣下、わが国の境界ははっきり磯竹島と言い切っております。
隠岐古記(1823)の記載は長久保赤水(1717-1801)の亡くなった後のものです。それで赤水に何を言おうというのでしょうね。1696年1月28日、江戸幕府は鳥取藩主に対し、鬱陵島への渡海を禁止しています。それなのに、朝鮮独特の日本侵略史観ですかねぇ。
【続く】
>『隠州視聴合記』斉藤豊仙(1667)は地方政府の公文書という性格・・・
以前、最低の評価をこの書に下した人の豹変振りに驚かされます。それもこれも、この人の本質にかわりはありませんね。
>【理由1】
> 私は同書にある「知夫郡 焼火山縁起」の記述に注目しています。そこで竹島(鬱陵島)は「伯耆国の大賈 村川氏、官より朱印を賜り、大舶を磯竹島へ致す(注4)」と書かれました。
> これから著者の斉藤豊仙は、磯竹島、すなわち竹島(鬱陵島)を朱印船がいくような島と理解していたことがわかります。朱印船とはいうまでもなく、外国へ渡航することを江戸幕府から許された船をさします。
> そうなると、竹島(鬱陵島)は異国の地であり、同書における記述「日本の北西地はこの州をもって限りとなす」の「この州」は竹島(鬱陵島)ではなく、やはり隠州になります。
VIVA_VIVA_21 さんによる懇切な解説でこの人の虚偽(真実を知らず犯す論理の誤謬)或いは詭弁(意識的に犯す論理の誤謬)が明らかにされました。(朱印船は禁教令に伴い、寛永10年(1633年)から5度にわたって出された鎖国令のなかの第3次鎖国令により、寛永12年(1635年)日本船の海外渡航及び帰国全面禁止となり、朱印船貿易は完全に途絶しました)。
上の文章の「そうなると、竹島(鬱陵島)は異国の地であり、同書における記述「日本の北西地はこの州をもって限りとなすの「この州」は竹島(鬱陵島)ではなく、やはり隠州になります」の論理の飛躍はさておいて、何れにしろ朱印船の根拠を失い【理由1】は完全に論理の破綻を見ております。即ち、「日本の北西地はこの州をもって限りとなす」の州は磯竹島で有ることを論破できませんね。
>【理由2】
> 「大日本史」によれば、『隠州視聴合記』からは竹島(鬱陵島)と松島(竹島=独島)は隠岐国すなわち隠州付属ではないということが読みとれます。これについてはすでに詳述したので(注5)、ここでは要点のみを書きます。『大日本史』は隠岐国についてこう記しました。
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>『大日本史』巻308,志3、隠岐国4郡
隠岐の国、下、・・・ 『大日本史』巻308,志3、隠岐国4郡
隠岐の国、下、・・・隱岐國、下、(延喜式○一作淤岐、或意岐)、又曰隱伎三子島、(古事記○按國在海中、故名、邦言謂海洋爲澳。隱岐即澳也)、 凡四島、分曰島前、島後、(隱州視聴合記、隱岐國圖、○属島一百七十九、總稱曰隱岐小島)、別有松島、竹島屬之、(隱岐古記。隱岐紀行、○按自隱地郡蘄浦、至松島海上六十九里、至竹島百里四町、韓人稱竹島曰鬱陵島、已曰竹島、曰松島、爲我版圖、不待智者而知也、附以備考) ・・・
> 同書は『隠州視聴合記』の記述を引用したときは松島と竹島を隠岐国に入れず、それと別に隠岐古記(1823)や隠岐紀行を引用してはじめて松島、竹島を隠岐国所属としました。しかも、それらの史料においてなぜ松島、竹島が「我が版図」になったのかよくわからないので識者を待つと率直に記しました。
> これは、大谷家や村川家による竹島(鬱陵島)渡海事業、すなわち竹島(鬱陵島)侵略の実績が長年つみかさねられた結果、隠岐国の人々が両島をおのずと隠岐国所属と考えるようになったことを反映したと思われます。
この人の勝手読みとでも言いましょうか、隠州は幕府より預かり地のため出雲藩士斉藤豊仙がこのように記載したのは当然です。分限を越える記載は当時としては出来なくて当然でしょう。但し、陪臣といえども幕府の臣下、わが国の境界ははっきり磯竹島と言い切っております。
隠岐古記(1823)の記載は長久保赤水(1717-1801)の亡くなった後のものです。それで赤水に何を言おうというのでしょうね。1696年1月28日、江戸幕府は鳥取藩主に対し、鬱陵島への渡海を禁止しています。それなのに、朝鮮独特の日本侵略史観ですかねぇ。
【続く】
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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