竹島

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

米子・山陰歴史館に竹島渡海資料

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/05/05 22:12 投稿番号: [9295 / 18519]
http://www.nnn.co.jp/news/050502/20050502001.html

ローカルニュース   5月2日の紙面から

米子・山陰歴史館に竹島渡海資料


米子市指定文化財の「竹島渡海」資料には大谷甚吉が将軍秀忠から贈られた葵の紋入り小袖も
  日韓が領有権を主張している竹島問題のルーツをひもとく貴重な資料が、米子市立山陰歴史館(同市中町)に収蔵展示されている。島根県の「竹島の日」条例制定で論議を呼ぶ中、韓国メディアも取材に訪れ、再び注目されている。


大谷、村川が事業
  資料は、江戸時代初期の米子商人・大谷甚吉と村川市兵衛による鬱陵(うつりょう)島渡海事業に関するもの。一九八四年に大谷家から寄贈され、八八年にうち十一点が米子市文化財に指定されている。

  鬱陵島は、当時「竹島」と呼ばれていた。回船業者の大谷甚吉が一六一七年、越後から米子へ帰る途中、強風で漂流し発見したとされる。島は無人で、山海の物産の宝庫。翌年江戸幕府の許可を得て、渡海開発事業に乗り出し、アワビ、アシカ、大竹など山海の珍品を持ち帰り、幕府に献上した。

  しかし、一六八九年以降、朝鮮の漁民が来島するようになり、漁業、領土紛争に発展。両家は幕府に善処を訴えたが、朝鮮政府は、「鬱陵島は自国の領土である」との主張を譲らず、日本幕府は九六年に鬱陵島渡航を禁止した。

  日本から見て鬱陵島の手前にあり、日韓が領有権を主張している現在の「竹島」は、当時は「松島」と呼ばれていた。大谷らはこの小さな岩島にも寄港しアシカ漁をしたとも伝えられる。
韓国メディア来館
  山陰歴史館には、幕府御用商人の船であることを示す葵(あおい)の紋入り船印、渡海船手用葵の紋入り木札、渡海許可・禁止を通達する巻物(写し)、チョウザメのはく製などが並ぶ。展示はされていないが、二代将軍徳川秀忠、鳥取藩主池田光仲から贈られた時服もあり、幕府、藩がこの渡海事業を奨励していたことを物語る。

  外務省は領有権に関する主張で、日本が早くから現「竹島」を認知し、実効支配していた根拠の一つとして、大谷、村川両家の渡海を挙げており、一昨年以来、韓国の学者やメディアも来館。幕府が渡海を奨励していたことを示す葵の紋入りの船印、鬱陵島とその周辺の島々を詳しく記した「竹島絵図」などに関心を示すという。
時服展示を計画
  同館では、これまで二回、竹島渡海を企画展に取り上げ、最近では一九八七−八年に「大谷甚吉と竹島展」を開いている。今回の竹島論議を契機に、久しく一般公開していなかった将軍秀忠から贈られた三葉葵の家紋の入った時服(小袖)の展示も計画している。

  福原則昭館長は「直接竹島の領有権を判断できる資料ではないが、韓国にも隠岐にもない重要な関連資料がここにはある。歴史的な事実を踏まえ竹島問題を考える上で参考にしてもらいたい。また、四百年前にフロンティアスピリッツを持った米子商人がいたことをもっと知ってもらいたい」と話している。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)