>1890年は
投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/12/16 20:06 投稿番号: [6488 / 18519]
>江原道も鬱陵島も隠岐も、海続きだから、同じようなイカ漁とスルメ製造をしていたでしょう。
1893年(明治26年)当時は「常に耕作を専業とし、漁業は絶えて従事するものなく、まったく知らざるものの如し(2月18日、山陰新聞)」であったと鬱稜島朝鮮人は描写されていますが、私が思うに、当時の日韓の決定的な加工法の違いは使っていた包丁から来ていると考えます。
ahirutousagiさんが仰っているように、内臓を取り出さずに処理した朝鮮本来の片脯(ピョンポ)と、内臓を取り除く日本式とでは異なるという事です。
鬱稜島では、買い手が日本人であった以上は、加工は日本式にする必要があったわけで、鬱稜島朝鮮人は日本人から加工法を習ったと考えるのが妥当でしょう。
http://www.fushitaka.com/surume.html
これは メッセージ 6486 (mattouya さん)への返信です.
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