竹島

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

独島問答 Q90, サンフランシスコ条約

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/07/04 22:02 投稿番号: [5276 / 18519]
   愼𨉷廈教授の「独島問題 百問百答」

Q90.(対日講和条約)
   日本政府は、1951年9月8日、アメリカをはじめとする48か国の連合国と日本が署名した「対日講和条約」第2条にて「日本は韓国の独立を承認して済州島・巨文島・鬱陵島を含めた韓国に対するすべての権利・権原および請求権を放棄する」と規定したが、この表記文において「独島」は含むように表示されていないので「独島」は日本領と主張しているということだが、この問題はどうなのか?

ANS.
   まったく成立する余地はない。連合国側は、前にも説明したように、連合国最高司令部が1946年1月29日 SCAPIN(連合国最高司令部指令)第677号により「独島」を日本領土から除外して韓国へ返還し、第5条においてこの決定を修正する時はかならず連合国(最高司令部)が他の特定の指令を出さなければならないと明確にした。
   これを「独島」の場合に適用すれば、万一、連合国が SCAPIN第677号の決定を修正し、たとえば「日本から除外して韓国へ返還した独島を修正して日本へ付属させる」という「修正」を加えようとする時は、連合国側が他の特定の指令を発するか、それに相当する明文規定をせねばならないのである。

   しかるに 1952年、連合国最高司令部が解体し、日本が再独立する時まで他の特定の指令を発表しなかったので「独島」は依然として連合国側も韓国領と認定し、国際法が保証する韓国領なのである。
   日本はこれをよく知っていたので、1951年「対日講和条約」草案作成時に猛烈にロビー活動を展開し、一時は「独島」を日本領土に含めて明文規定を草案にもるところまで成功したが、最終段階で連合国側がこれを削除し、他の特定の SCAPINに該当する連合国側の明文規定による「修正」に失敗した。

   したがって、1951年 サンフランシスコにて締結した「対日講和条約」において「独島」を日本領土に含めるという内容の明文規定がないかぎり、連合国側は「独島」を韓国領として認定したのであり、日本は国際法上「独島」に対する領有権を主張することができない。
   したがって 1951年、連合国側の「対日講和条約」の条約文は連合国側が独島を日本領と認定したのではなく、かえって反射的に SCAPIN第677号が有効であり「独島」が韓国領であることを引きつづき認定したのである。

コメント:竹島=独島やクナシリ、エトロフ島などを政治上、行政上において日本から切り離したSCAPIN 677号の規定は日本領土を最終決定したものではなく、第5条にうたわれたように別な指令で処遇が明文規定されるまでの暫定措置であった。
   その後、それらの島に関するかぎり、第5条にうたわれたような明文規定を有する指令や条約は今日にいたるまで皆無である。したがって、それらの島がサンフランシスコ条約で放棄する島のリストに単に入っていないからといって、それらが政治上、行政上において日本へ渡されたと解釈するのは困難である。対日講和条約では、条約非調印国のソ連や韓国が現実に支配しているそれらの島について最終的な所属をわざとあいまいにするために、それらの島について一切ふれなかったのである。

   対日講和条約後、日本はこうした事情からクナシリやエトロフ島などが日本へ返還されたと誤解するようなことはせず、そこへ巡視船を強行派遣するような行動はとらなかった。当然の理である。ところが竹島=独島の場合、日本は1953年に巡視船を強行派遣し、そのため韓国から銃撃され追い返されている。
   この両者の違いは歴然としている。相手がソ連という大国の場合、日本は理性を働かせたのか、あるいは猟犬におびえる小鳥のようにすくんで動けなかったのか、何の行動も起さなかった。ところが相手が韓国となると、相手をみくびってか居丈高な行動に走ったのである。この当時、日本政府の行動はダブルスタンダードであった。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)