竹島

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★ 小説・李承晩の野暮 ★ ④

投稿者: bmmkx155 投稿日時: 2004/05/13 23:41 投稿番号: [4572 / 18519]
「竹島に行くことができた昔の人がうらやましいです。私たちが大人になるころには竹島が日本に返ってきてほしいです。そうしたら私は野生のアシカを見たいです。友達は、かなぎ漁やもぐり漁をしたいと言っています。
もう一つは藤田(竹島学習の講師)さんのように竹島について教えてくれる人がいなくなっていくのではないかという心配です。だから私は今回学んだことを自分たちの子どもにも、伝えていきたいと思いました。そして近い将来、竹島に自由に行ける日がくればいいなあと思います」

五箇小学校 六年   荒田 阿友美
(平成十五年十一月十五日   竹島北方領土返還要求運動島根大会より)


(四)

  国際法的にも、韓国による獨島(竹島)の領有権主張にはどう見ても無理があった。それは誰よりも李承晩(イ・スンマン)自身が理解していた。
  そこで李承晩は領有権主張の根拠を、法には依らず、歴史的事実に求めようとした。

「歴史は、後世の解釈でいかようにも変えられる。今すぐ、獨島(竹島)に関する歴史資料を国中から集めよ」

  李承晩の命により、獨島(竹島)に関わるものも関わらぬものも、すべての史書が景武台(青瓦台)に集められた。
  学者は景武台に籠もり、韓国に有利な資料を探し求めた。
  しかし韓国の主張を正当化できるような芳しい資料は見つからなかった。

「獨島(竹島)が我が大韓民国固有の領土である、と云う唯一の資料も、その証言者である安龍福(徳川幕府の時代、鬱陵島から日本へと連れてこられた朝鮮人。のちに朝鮮へ帰国)の死亡からおよそ八十年後の時代に書かれたものであり、信憑性と云う点では著しく欠けております状態で……」

  それでも学者は、僅かに発見した事実などを李承晩に直接報告した。
  その報告を、李承晩は眉間に深い皺を寄せたまま、ずっと眼を閉じて聞いている。
  その姿は、ひどく老いぼれて見えた。いつもの、反共、反日に精力的に動き回るあのエネルギッシュな面影はそこには存在していないように見えた。
  とは云え、李承晩も既に齢75の老齢である。それ相応の姿と云うべきか。

「安龍福の時代には」

  と、学者は続ける。

「そもそも鬱陵島でさえ、我が国民が渡航することは希でした。なにしろ航海術も発達しておらず、それになにより治政外とも云えるような島ですから……。当時、それを知った日本国の幕府が、この鬱陵島の領有権を主張したぐらいです……」

  三百年前、徳川幕府は鬱陵島の領有権を朝鮮国に対して主張した(つまりこの時点で、少なくとも竹島は日本国領であったと云うことになる)。
  しかし、交渉を幕府から一任されていた対馬藩が、朝鮮本土から鬱陵島が歴々と見えると云う朝鮮国の主張をとりあげ、
「鬱陵島は朝鮮国に近く、したがってこの島を日本国領とするにはあまりに無理があります」
  と幕府に報告をした為、幕府もついに鬱陵島だけは朝鮮国領として認めた、と云う経緯がある。

「あの、大統領……」

  李承晩は尚も眼を閉じたままでいる。学者には、それが眠っているように映った。
  と、李承晩がいきなりに、

「さきほど、どこかの島が<歴々見える>とか表現をしておったが?」

  と、もはや完全に白髪となった短髪を、額からつるりと撫でた。
  学者は李承晩の声音の低さに少々狼狽しつつ、

「あ、はい、天気さえ良ければ、本土から<鬱陵島が歴々と見える>と「東国文献備考」と云う史書には載っております」
「獨島(竹島)はどうだ?   本土から歴々と見えるか?」
「とても見えません。なにしろ小さな島ですので……」
「ふうむ、ならば鬱陵島からなら、どうだ?」
「鬱陵島からですか?   天気さえ良ければ見えるのではないでしょうか……」
「よし、ならばそれでいい。それを使おう。その解釈でいく」
「は?」
「鬱陵島から獨島は歴々と見える。したがって、それが獨島(竹島)が韓国領であることの根拠とする」

−つづく−

竹島の所在は、<島根県隠岐郡五箇村字竹島無番地>である。
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