勅令第41号
投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/29 15:58 投稿番号: [3752 / 18519]
>ここでわが主題と関連して注目すべきは、第2条の鬱島郡の「区域は鬱陵全島と竹島 石島を管轄す」という部分である。ここで竹島が鬱陵島すぐ横の竹嶼島をさすことは李奎遠の「鬱陵島検察日記」で確認される。
そして石島が獨島をさすことは間違いない。当時、鬱陵島住民の大多数は全羅道出身の漁民であったが、全羅道の方言では「Dol(石)」を「Dok」とし、「Dol Seom(石島)」を「Dok Seom」とよぶ事実はよく知られており、大韓帝国政府は「石島」を意訳して「石島」としたのである。
愼𨉷廈教授の「そして石島が獨島をさすことは間違いない」という断言を変に思う人は多いと思います。
石島は、今の観音島を指すことに間違いないと断言しても、続く『当時、鬱陵島住民の大多数は全羅道出身の漁民であったが、全羅道の方言では「Dol(石)」を「Dok」とし、「Dol Seom(石島)」を「Dok Seom」とよぶ事実はよく知られており、大韓帝国政府は「石島」を意訳して「石島」としたのである』とは矛盾しないからです。
以下が、愼𨉷廈教授風に言えば、石島を指すことに間違いない観音島。
http://myhome.shinbiro.com/~shkimhp/urd/photo/gwdo.htm
これは メッセージ 3751 (hangetsujoh さん)への返信です.
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