竹島問題と間島問題 II
投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/02/28 23:56 投稿番号: [3745 / 18519]
林権助の『わが70年を語る』は「戦争中はそのまま伏せて過したが、それで日露戦争のすむころから、非常な勢ひで朝鮮側から起つて来た。朝鮮側では一心会といふ無頼漢(ならずもの)ぼ手合の団体が出来て、それが非常に煩はしく、間島問題を主張して来た。それで、わたしは、その時伊藤さんにかう相談した。
『おかげで朝鮮も日本の保護国になり、まあ、いはば太古よりの朝鮮問題も一先づ鳧(けり)がついたわけですから、これでわたしは朝鮮を去りたいんですが、ここに斯ういふ問題が残つてゐます。今日、保護国の国民たる間島在住朝鮮人が、支那官憲から追払はれるやうな事が出来するわけですから、日本としては黙つて見てゐる訳にも行かぬやうです。勿論その領土が支那の物であるか、朝鮮の物であるかの問題は、要するに理屈の有る方に決めればよろしいが、朝鮮人の保護は日本としては、俺は知らぬと云ふわけには参りませぬ。朝鮮国民に対しても、日本の威信に関りませうから』
伊藤さんも
『成程さうだね』
といはれる。それでわたしは言を次いでいつた。
『私は帰朝後北京に行く事に内定してゐますが、この問題の処置は尋常の方式なら支那と談判をしてから決定するのが正式でせうが、談判をやつたら日本に名分がありませんから撃退されるに決つてゐます。談判をやつてから撃退されるといふのは、日本の威信上甚だ面白くありません。それでわたしの差当りの考へではかうです。ロシアとの関係上、怪からんと言へば言へるが、日本としては黙つて素知らぬ顔して、日本の役人を間島に入れるんです。それも外務省の人間ぢやいけますまい。先づ憲兵をやればよいでせう。といふのは今日支那の方では朝鮮人を武力で以て払はうとしてゐますから、やはり軍人の方が宜い様です。それで、その憲兵隊特派の事を、私が北京着任以前に決定しておいて頂いて、凡そ幾日頃にその特派隊が現地に乗込むといふ事を知らせてほしいんです。さうすれば、わたしは知らぬ顔して、支那の政府に斯ういふ者を派遣したいと一本の通知をやる心算です。さうすればきつと支那が怒るに相違ありませぬ。支那が怒つたら、無論私がとぼけて受身になります。受身になりさえすれば、この問題は何んとか纏りがつくでせう』
かう言つた。伊藤さんは之に対してかういはれる。
『俺はそれで宜いが、ともかくも日本の政府の意見を決めて呉れぬか』
それでわたしは陸相の寺内さんに説いてみた。寺内さんは軍人だから、話が早い、直ぐに
『承知した』
と言つて引受けて呉れた。
そこで、その特派憲兵隊が間島に着く頃も待つて、わたしは一本の通牒を支那政府に出した。すると支那は怒つた。その問題の資料といつて支那側は色々の書類を持つゐる。わたしは何も知らぬ顔をして、その書類を見せて呉れと言つて、今迄の経緯の支那側の見解や成行をすつかり知り、見当がついたわけだ。それに基づいて考へると、これは判然と決定せずに引張つて置く方が、結局日本に都合がよいと考へたので、ずうつとそのままにしておいたよ。其後、何でも、わたしが北京公使を退いてからの事だが、やはり間島の裁判権なども、支那に譲ることになつたやうだ」と続く。
『おかげで朝鮮も日本の保護国になり、まあ、いはば太古よりの朝鮮問題も一先づ鳧(けり)がついたわけですから、これでわたしは朝鮮を去りたいんですが、ここに斯ういふ問題が残つてゐます。今日、保護国の国民たる間島在住朝鮮人が、支那官憲から追払はれるやうな事が出来するわけですから、日本としては黙つて見てゐる訳にも行かぬやうです。勿論その領土が支那の物であるか、朝鮮の物であるかの問題は、要するに理屈の有る方に決めればよろしいが、朝鮮人の保護は日本としては、俺は知らぬと云ふわけには参りませぬ。朝鮮国民に対しても、日本の威信に関りませうから』
伊藤さんも
『成程さうだね』
といはれる。それでわたしは言を次いでいつた。
『私は帰朝後北京に行く事に内定してゐますが、この問題の処置は尋常の方式なら支那と談判をしてから決定するのが正式でせうが、談判をやつたら日本に名分がありませんから撃退されるに決つてゐます。談判をやつてから撃退されるといふのは、日本の威信上甚だ面白くありません。それでわたしの差当りの考へではかうです。ロシアとの関係上、怪からんと言へば言へるが、日本としては黙つて素知らぬ顔して、日本の役人を間島に入れるんです。それも外務省の人間ぢやいけますまい。先づ憲兵をやればよいでせう。といふのは今日支那の方では朝鮮人を武力で以て払はうとしてゐますから、やはり軍人の方が宜い様です。それで、その憲兵隊特派の事を、私が北京着任以前に決定しておいて頂いて、凡そ幾日頃にその特派隊が現地に乗込むといふ事を知らせてほしいんです。さうすれば、わたしは知らぬ顔して、支那の政府に斯ういふ者を派遣したいと一本の通知をやる心算です。さうすればきつと支那が怒るに相違ありませぬ。支那が怒つたら、無論私がとぼけて受身になります。受身になりさえすれば、この問題は何んとか纏りがつくでせう』
かう言つた。伊藤さんは之に対してかういはれる。
『俺はそれで宜いが、ともかくも日本の政府の意見を決めて呉れぬか』
それでわたしは陸相の寺内さんに説いてみた。寺内さんは軍人だから、話が早い、直ぐに
『承知した』
と言つて引受けて呉れた。
そこで、その特派憲兵隊が間島に着く頃も待つて、わたしは一本の通牒を支那政府に出した。すると支那は怒つた。その問題の資料といつて支那側は色々の書類を持つゐる。わたしは何も知らぬ顔をして、その書類を見せて呉れと言つて、今迄の経緯の支那側の見解や成行をすつかり知り、見当がついたわけだ。それに基づいて考へると、これは判然と決定せずに引張つて置く方が、結局日本に都合がよいと考へたので、ずうつとそのままにしておいたよ。其後、何でも、わたしが北京公使を退いてからの事だが、やはり間島の裁判権なども、支那に譲ることになつたやうだ」と続く。
これは メッセージ 3744 (Gaenara さん)への返信です.
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