>>獨島学会サイト
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2004/02/19 19:11 投稿番号: [3713 / 18519]
獨島学会サイト見れました。
>竹島(鬱稜島の東数キロの同名別島)から鬱稜島に移ったということでしょう。
解説を読む限り、「武陵島で生まれ、王命で一端半島に移住し、また元に戻った」と解釈してるようだ。「王命で、一端半島に移住し」は勝手な挿入ですな。また、流山国島=武陵島を認めたことになる。
<訳>
議政府に命じて流山国島人を議論して処理するようにハであった. 江原道観さつ使報告に早いのを流山国島人白加勿など12人が高城 於羅津に来て停泊して言うのを「私たち銀武陵島で出て育ったが、彼島の中の人々は呼値11号に男女60黎明が今本来の島に移居した」とハブニだ.これ島は東から西の方と南側から北が某二2息の長さで、まわりは8息だから言います. 牛馬と水田はなくて汚職種豆 1斗に20石、または30岩茸出て,麦1石に50席余りが生えます. 大きい竹と海錯・果木などが皆イッスブお前だ.これらが逃げて帰ってしまうのを気づかって通州・高城・杆城に 分けて 置くように しました.
[解説]
これ資料は 1412年(太宗 12年) 当時の鬱陵島の状態を寝る知らせてくれてある. 先に進んで倭寇侵略を気づかって、太宗は鬱陵島居住民を陸地に飛びます。
図緑言い付けて執行したが, 鬱陵島で生まれて成長した11好意60黎明銀その後王命を破って再び鬱陵島に移して入って行って居住した. この中に西 白加勿など12人がお腹を焼けて高城の於羅津に入って来て停泊しよう。彼らこれ逃げて鬱陵島に帰って捨てるのを気づかって、江原道観さつ使はこれらを通州・高城・杆城の歳地域に分けて置いて逃げるのできないように組痴漢のだった.
当時、鬱陵島の農業土地生産力は、豆を1言葉種を蒔けば20〜30石生産になって, 麦1石を種を蒔けば50席余りが収穫される位だった.
当時の状況は、これら元々于山国出身たちは鬱陵島に入って行って居住して定木願ったし,太宗と江原道観さつ使などはこれらを陸地に 出て居住させて定木たいていのを卵数ある.
これは メッセージ 3712 (seonsaeng さん)への返信です.
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