〉華麗なる飛躍
投稿者: nochonggakk 投稿日時: 2003/06/06 16:12 投稿番号: [2005 / 18519]
■まず訂正■
「連合国側合意書のなかに竹島=独島を韓国領と明記した文書が、遅くとも1950年まで(上限は1947年)には出されていた事実は否定できませんよね」と1995で書きましたが、括弧内を「上限は1949年」と訂正します。1993で書いたように、この合意書には1947-49年の草案副書が綴じ込まれていたわけですから、書誌学的には、綴じ込まれていた文書のうち最新のものより以後にこの合意書が作成されたと考えるのが通常でした。私の単純ミスです。ごめんなさい。もっともこの訂正によって、これまでの論旨に影響はありませんが(私にとっても私を批判する側にとっても)、正確を期しておきたいと思います。
■再確認■
私としては1963で述べた事柄を撤回する必要性を感じていません。私の論が論理の飛躍をともなっているかのごとき批判がありますが、念のためにいくつか確認しておきたいと思います。
(1)何の根拠もない思いこみに基づく議論はナンセンスです。私の論拠は、塚本孝「平和条約と竹島(再論)」(『レファレンス』518、1994)です。
塚本は、米英協議1951.5を経て作成された米英共同草案について、「朝鮮条項に関しては、第二条に、米英両国案を折衷する形(米国にとっては一九四九・一二・二九案に戻る形)で、、「日本国は、朝鮮(済州島、巨文島及び鬱陵島を含む)、…に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と規定された」と書いています(46頁下段)。塚本は米英共同草案を「折衷案」だと明確に述べています。私はその「折衷」の意味内容をどう捉えるべきかについて、先述したように、「政治的妥協であり、竹島=独島の帰属を曖昧化させたもの」と評価したのです。塚本は米英共同草案を「英国草案が米国草案に屈服した」と述べているわけではなく、英国草案の意図・方向性と米国草案の意図・方向性とが「折衷」されたと述べているのです。
ところで「折衷」について塚本は「米国にとっては一九四九・一二・二九案に戻る形」と付記しますが、これは彼の明らかにしてきたことからすると事実誤認(ないしはミスリード)です。ここは「米国にとっては1950.8草案もしくは1950.9草案に戻る形」とせねばなるまいと考えます。米英共同草案と1949.12草案とでは島名列挙方式の詳細さのレベルがまるで異質であり、これらを同質のものとして扱いえないからです。米英共同草案と比較するとすれば「1950.8草案もしくは1950.9草案」の方がはるかに類似性が高いです。
あるいは塚本説に従いつつも「折衷」であるという論点に即して理解すれば、米英共同草案は、島名列挙方式に戻りつつも、シーボルドの指摘によって竹島を含めて詳細に日本に帰属する島嶼を示すように作り直された「一九四九・一二・二九案」ほどには詳細ではなかったところに「折衷」たる所以を読みとることができます。これを譲歩といわずして何とすべきでしょうか。
(2)私は、米英協議1951.5を経て作成された共同草案の文面(およびそれを基にした講和条約の該当箇条)は、竹島=独島の帰属を曖昧にしたものとしか読めないと考えています。それを「曖昧ではない」と判断する根拠は何ですか?「曖昧でない」「島の帰属は明確に記されている」とした場合、その後どうして日韓間でこの島をめぐる紛争が惹起されたのかがまるで理解できません。御教示のほどを願います。
「連合国側合意書のなかに竹島=独島を韓国領と明記した文書が、遅くとも1950年まで(上限は1947年)には出されていた事実は否定できませんよね」と1995で書きましたが、括弧内を「上限は1949年」と訂正します。1993で書いたように、この合意書には1947-49年の草案副書が綴じ込まれていたわけですから、書誌学的には、綴じ込まれていた文書のうち最新のものより以後にこの合意書が作成されたと考えるのが通常でした。私の単純ミスです。ごめんなさい。もっともこの訂正によって、これまでの論旨に影響はありませんが(私にとっても私を批判する側にとっても)、正確を期しておきたいと思います。
■再確認■
私としては1963で述べた事柄を撤回する必要性を感じていません。私の論が論理の飛躍をともなっているかのごとき批判がありますが、念のためにいくつか確認しておきたいと思います。
(1)何の根拠もない思いこみに基づく議論はナンセンスです。私の論拠は、塚本孝「平和条約と竹島(再論)」(『レファレンス』518、1994)です。
塚本は、米英協議1951.5を経て作成された米英共同草案について、「朝鮮条項に関しては、第二条に、米英両国案を折衷する形(米国にとっては一九四九・一二・二九案に戻る形)で、、「日本国は、朝鮮(済州島、巨文島及び鬱陵島を含む)、…に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と規定された」と書いています(46頁下段)。塚本は米英共同草案を「折衷案」だと明確に述べています。私はその「折衷」の意味内容をどう捉えるべきかについて、先述したように、「政治的妥協であり、竹島=独島の帰属を曖昧化させたもの」と評価したのです。塚本は米英共同草案を「英国草案が米国草案に屈服した」と述べているわけではなく、英国草案の意図・方向性と米国草案の意図・方向性とが「折衷」されたと述べているのです。
ところで「折衷」について塚本は「米国にとっては一九四九・一二・二九案に戻る形」と付記しますが、これは彼の明らかにしてきたことからすると事実誤認(ないしはミスリード)です。ここは「米国にとっては1950.8草案もしくは1950.9草案に戻る形」とせねばなるまいと考えます。米英共同草案と1949.12草案とでは島名列挙方式の詳細さのレベルがまるで異質であり、これらを同質のものとして扱いえないからです。米英共同草案と比較するとすれば「1950.8草案もしくは1950.9草案」の方がはるかに類似性が高いです。
あるいは塚本説に従いつつも「折衷」であるという論点に即して理解すれば、米英共同草案は、島名列挙方式に戻りつつも、シーボルドの指摘によって竹島を含めて詳細に日本に帰属する島嶼を示すように作り直された「一九四九・一二・二九案」ほどには詳細ではなかったところに「折衷」たる所以を読みとることができます。これを譲歩といわずして何とすべきでしょうか。
(2)私は、米英協議1951.5を経て作成された共同草案の文面(およびそれを基にした講和条約の該当箇条)は、竹島=独島の帰属を曖昧にしたものとしか読めないと考えています。それを「曖昧ではない」と判断する根拠は何ですか?「曖昧でない」「島の帰属は明確に記されている」とした場合、その後どうして日韓間でこの島をめぐる紛争が惹起されたのかがまるで理解できません。御教示のほどを願います。
これは メッセージ 1999 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
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