Re: 内藤の不都合な事実の隠滅
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/02/28 22:28 投稿番号: [17738 / 18519]
今回は、外務省のポイント9、現代史の部分に焦点をあてて問題提起したので前の部分は見ていなかったのですが、ほんの30秒も読まずして、思わず目を疑いましたね。
まず、于山島についての外務省の記述を引用します。
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[外務省の記述:外務省HPより]
1.韓国が古くから竹島を認識していたという根拠はありません。例えば、韓国側は、朝鮮の古文献『三国史記』(1145年)、『世宗(せそう)実録地理誌』(1454年)や『新増東国輿地勝覧(しんぞうとうごくよちしょうらん)』(1531年)、『東国(とうごく)文献備考』(1770年)、『萬機(ばんき)要覧』(1808年)、『増補(ぞうほ)文献備考』(1908年)などの記述をもとに、「鬱陵島」と「于山島」という二つの島を古くから認知していたのであり、その「于山島」こそ、現在の竹島であると主張しています。
2.しかし、『三国史記』には、于山国であった鬱陵島が512年に新羅に帰属したとの記述はありますが、「于山島」に関する記述はありません。また、朝鮮の他の古文献中にある「于山島」の記述には、その島には多数の人々が住み、大きな竹を産する等、竹島の実状に見合わないものがあり、むしろ、鬱陵島を想起させるものとなっています。
(以下、省略)
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これについて内藤氏は次のように述べます。
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[内藤氏:竹島=独島問題入門, pp.20-21]
2)のように『三国史記』に「于山島」についての記述があるなどとは、韓国では誰も主張していない。何をもとにして外務省はそのようなことをいうのかわからない。鬱陵島については記してあるが、それ以外の島についての言及はないのである。したがって、そのことをもって、「今日の竹島は于山国に含まれていなかったとするのが『三国史記』の記述に沿った読み方である」などという者がいるが、言及がないということから、于山島が于山国に含まれていなかったと断言するわけにはゆかないはずである。
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そりゃ、『三国史記』に于山島についての記録はないですからね。あくまで于山国の話になることでしょう。でも、外務省と内藤氏の文章を読み比べるとどうにもずれている印象です。外務省は各種古文書をあげてひとくくりにして「「鬱陵島」と「于山島」という二つの島を古くから認知していた」という韓国側の主張を説明しているわけで、わざわざ『三国史記』の記述に于山島という記述がないと言ってもピントがぼけているでしょう。
では、なぜ『三国史記』まで記述に入っているか。参考までに、内藤氏の著書の共著者、金柄烈氏の本から引用してみましょう。
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[金柄烈:独島論争、ダダメディア、2001年、p.76(原文韓国語)]
独島は鬱陵島とともに新羅智証王13年(世紀512年)に新羅に征服された。一部の日本人たちはこのときに独島まで征服されたのではないとするが、当時、漁業を主たる業としていた鬱陵島の住民が目に見える島である独島の周辺に出漁にでなかったはずはなく、また無人島である独島に対して領有権を行使しようとしたことは人の常であるので、独島は明白に于山国の領域圏内であったと言える。(引用者注:脚注でも示されていますが、この文章は『三国史記』を前提としたものです。)
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これは普通に韓国で理解されている説明です。これらの3者を比べれば、外務省の説明がもっとも妥当であるのは明白です。内藤氏の説明は、外務省への反論にもなっていませんし、韓国の主張の理解にもあまり及んでいないように見えます。困ったものです。
まず、于山島についての外務省の記述を引用します。
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[外務省の記述:外務省HPより]
1.韓国が古くから竹島を認識していたという根拠はありません。例えば、韓国側は、朝鮮の古文献『三国史記』(1145年)、『世宗(せそう)実録地理誌』(1454年)や『新増東国輿地勝覧(しんぞうとうごくよちしょうらん)』(1531年)、『東国(とうごく)文献備考』(1770年)、『萬機(ばんき)要覧』(1808年)、『増補(ぞうほ)文献備考』(1908年)などの記述をもとに、「鬱陵島」と「于山島」という二つの島を古くから認知していたのであり、その「于山島」こそ、現在の竹島であると主張しています。
2.しかし、『三国史記』には、于山国であった鬱陵島が512年に新羅に帰属したとの記述はありますが、「于山島」に関する記述はありません。また、朝鮮の他の古文献中にある「于山島」の記述には、その島には多数の人々が住み、大きな竹を産する等、竹島の実状に見合わないものがあり、むしろ、鬱陵島を想起させるものとなっています。
(以下、省略)
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これについて内藤氏は次のように述べます。
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[内藤氏:竹島=独島問題入門, pp.20-21]
2)のように『三国史記』に「于山島」についての記述があるなどとは、韓国では誰も主張していない。何をもとにして外務省はそのようなことをいうのかわからない。鬱陵島については記してあるが、それ以外の島についての言及はないのである。したがって、そのことをもって、「今日の竹島は于山国に含まれていなかったとするのが『三国史記』の記述に沿った読み方である」などという者がいるが、言及がないということから、于山島が于山国に含まれていなかったと断言するわけにはゆかないはずである。
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そりゃ、『三国史記』に于山島についての記録はないですからね。あくまで于山国の話になることでしょう。でも、外務省と内藤氏の文章を読み比べるとどうにもずれている印象です。外務省は各種古文書をあげてひとくくりにして「「鬱陵島」と「于山島」という二つの島を古くから認知していた」という韓国側の主張を説明しているわけで、わざわざ『三国史記』の記述に于山島という記述がないと言ってもピントがぼけているでしょう。
では、なぜ『三国史記』まで記述に入っているか。参考までに、内藤氏の著書の共著者、金柄烈氏の本から引用してみましょう。
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[金柄烈:独島論争、ダダメディア、2001年、p.76(原文韓国語)]
独島は鬱陵島とともに新羅智証王13年(世紀512年)に新羅に征服された。一部の日本人たちはこのときに独島まで征服されたのではないとするが、当時、漁業を主たる業としていた鬱陵島の住民が目に見える島である独島の周辺に出漁にでなかったはずはなく、また無人島である独島に対して領有権を行使しようとしたことは人の常であるので、独島は明白に于山国の領域圏内であったと言える。(引用者注:脚注でも示されていますが、この文章は『三国史記』を前提としたものです。)
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これは普通に韓国で理解されている説明です。これらの3者を比べれば、外務省の説明がもっとも妥当であるのは明白です。内藤氏の説明は、外務省への反論にもなっていませんし、韓国の主張の理解にもあまり及んでいないように見えます。困ったものです。
これは メッセージ 17736 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
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