Re: ararenotomoさんへ業務連絡
投稿者: ararenotomo1 投稿日時: 2009/12/24 22:54 投稿番号: [17638 / 18519]
yabutarou01さん
いつもの事ながら返信が遅れてしまって誠に申し訳ございません。
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/
にある「The 22nd column “Seeking Truth Based Solely on Facts (実事求是)”, Part 4」
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2009/11/4the-22nd-column-seeking-truth-based.htm l
の書き込みを、この掲示板でお知らせ下さったことに感謝します。
dokdo-or-takeshima.blogspot.comは貴重な情報を含むので、大変興味深く、よく見ております。Kaneganese氏やpacifist氏の見事な英語にはいつも感心しています。しかし、時には私から見て間違いと思われるものが、散見されるので、失礼をもかえりみず、気が向くと、下手な英語で書き込ませて頂いております。
上記のブログは、yabutarou01さんが言われたように、どこに何が書いてあるのかよく分からないことが多いので、日本語の書き込みにはこの掲示板を利用したいと思います。
そこで早速ですが、Web竹島問題研究所に発表された杉原隆氏の“「竹島外一島之儀本邦関係無之について」再考―明治十四年大屋兼助外一名の「松島開拓願」を中心に―”の疑問点を述べます。
yabutarou01さんは、その中の“「内務権大書記官西村捨三発外務書記官あて照会」は太政官指令の「外一島」を、鬱陵島のことだと「整理」したと解釈するのに十分であると考えます。”と言っておられますが、私にはよく理解できません。
「内務権大書記官西村捨三発外務書記官あて照会」は、「日本海ニ在ル竹島松島之義ハ別紙甲号之通去明治十年中本邦関係無之事ニ伺定相成」にも拘らず、島根県よりの別紙乙号によれば、大倉組社員が松島(これは鬱陵島)で伐木しているので、近頃、朝鮮国と何らかの談判約束があったのかと尋ねたものです。
別紙甲号の「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」は、内務省が「竹島外一島本邦関係無之」と決めたが、それでよいかを太政官に伺った文書で、内務省は、その決定に際して、島根県から提出された幾つかの文書と地図を参考にしました。そのうちの一つである「原由の大畧」は、竹島を詳述した後、外一島について次のように記しました。「次ニ一島アリ松島ト呼フ周回三十町許竹島ト同一線路ニ在リ隠岐ヲ距ル八拾里許樹竹稀ナリ亦魚(鳥)獸ヲ産ス」。なお、島根県に保存されている文書では魚が鳥になっています。
この文書から「外一島」は、シーボルトが誤って「松島」とした「鬱陵島」ではなく、隠岐から竹島(鬱陵島)へ行く途上にあり、日本人が17世紀以来、周知していた「本来の松島」であることは明らかです。
yabutarou01さんは、“「照会別紙甲号」と「照会別紙乙号」はともに内務権大書記官西村捨三が「日本海ニ在ル竹島松島」の状況を外務書記官に説明するために書いたもの考えられます。” と述べておられますが、西村捨三は「別紙甲号」の「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」に(外一島ハ松島ナリ)と付け加えただけです。
「外一島ハ松島ナリ」は、yabutarou01さんが述べられたように、「日本海ニ在ル竹島松島」の状況を外務書記官に説明するには、「外一島」だけでは不十分と思い、「松島ナリ」と明確にしたのでしょう。この松島は「次ニ一島アリ松島ト呼フ」の松島です。
西村捨三は、yabutarou01さんによれば1876年内務省に出仕し、1881年には初代の警保局長になっております。従って、内務官僚の主流を歩んだ西村捨三は、「竹島外一島本邦関係無之」とした1877年の内務省決定の経緯を十分に承知しており、「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」の「外一島」が鬱陵島を表すとは全く考えもしなかったと思います。
いつもの事ながら返信が遅れてしまって誠に申し訳ございません。
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/
にある「The 22nd column “Seeking Truth Based Solely on Facts (実事求是)”, Part 4」
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2009/11/4the-22nd-column-seeking-truth-based.htm l
の書き込みを、この掲示板でお知らせ下さったことに感謝します。
dokdo-or-takeshima.blogspot.comは貴重な情報を含むので、大変興味深く、よく見ております。Kaneganese氏やpacifist氏の見事な英語にはいつも感心しています。しかし、時には私から見て間違いと思われるものが、散見されるので、失礼をもかえりみず、気が向くと、下手な英語で書き込ませて頂いております。
上記のブログは、yabutarou01さんが言われたように、どこに何が書いてあるのかよく分からないことが多いので、日本語の書き込みにはこの掲示板を利用したいと思います。
そこで早速ですが、Web竹島問題研究所に発表された杉原隆氏の“「竹島外一島之儀本邦関係無之について」再考―明治十四年大屋兼助外一名の「松島開拓願」を中心に―”の疑問点を述べます。
yabutarou01さんは、その中の“「内務権大書記官西村捨三発外務書記官あて照会」は太政官指令の「外一島」を、鬱陵島のことだと「整理」したと解釈するのに十分であると考えます。”と言っておられますが、私にはよく理解できません。
「内務権大書記官西村捨三発外務書記官あて照会」は、「日本海ニ在ル竹島松島之義ハ別紙甲号之通去明治十年中本邦関係無之事ニ伺定相成」にも拘らず、島根県よりの別紙乙号によれば、大倉組社員が松島(これは鬱陵島)で伐木しているので、近頃、朝鮮国と何らかの談判約束があったのかと尋ねたものです。
別紙甲号の「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」は、内務省が「竹島外一島本邦関係無之」と決めたが、それでよいかを太政官に伺った文書で、内務省は、その決定に際して、島根県から提出された幾つかの文書と地図を参考にしました。そのうちの一つである「原由の大畧」は、竹島を詳述した後、外一島について次のように記しました。「次ニ一島アリ松島ト呼フ周回三十町許竹島ト同一線路ニ在リ隠岐ヲ距ル八拾里許樹竹稀ナリ亦魚(鳥)獸ヲ産ス」。なお、島根県に保存されている文書では魚が鳥になっています。
この文書から「外一島」は、シーボルトが誤って「松島」とした「鬱陵島」ではなく、隠岐から竹島(鬱陵島)へ行く途上にあり、日本人が17世紀以来、周知していた「本来の松島」であることは明らかです。
yabutarou01さんは、“「照会別紙甲号」と「照会別紙乙号」はともに内務権大書記官西村捨三が「日本海ニ在ル竹島松島」の状況を外務書記官に説明するために書いたもの考えられます。” と述べておられますが、西村捨三は「別紙甲号」の「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」に(外一島ハ松島ナリ)と付け加えただけです。
「外一島ハ松島ナリ」は、yabutarou01さんが述べられたように、「日本海ニ在ル竹島松島」の状況を外務書記官に説明するには、「外一島」だけでは不十分と思い、「松島ナリ」と明確にしたのでしょう。この松島は「次ニ一島アリ松島ト呼フ」の松島です。
西村捨三は、yabutarou01さんによれば1876年内務省に出仕し、1881年には初代の警保局長になっております。従って、内務官僚の主流を歩んだ西村捨三は、「竹島外一島本邦関係無之」とした1877年の内務省決定の経緯を十分に承知しており、「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」の「外一島」が鬱陵島を表すとは全く考えもしなかったと思います。
これは メッセージ 17622 (yabutarou01 さん)への返信です.
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