Re: 宋炳基氏の于山島最新解釈?
投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2009/11/05 20:23 投稿番号: [17578 / 18519]
>>基本的には宋炳基氏の論文集ですが、最後の「独島領有権エッセンス」の部分で半月城氏の韓国側領有権の最新解釈が述べられています。
二日前にこのように書きましたが、「竹島〈独島〉・欝陵島歴史研究」の半月城氏の序文に、
「第八章は特に竹島=独島領有権に関する著者(宋炳基)の最新の見解を特集したものです。」
とあるのを見ると、これは半月城氏の最新解釈ではなく、宋炳基氏の最新解釈のようです。
この「独島領有権エッセンス」、最新の見解のわりには内容が古すぎるのではないかと思っていたところ、243pの「初出一覧」に、初出は1996年の「資料を道して見た韓国の独島領有権」であると書いてありました。
どうもこれは1996年の文章に少し書き足しただけであるようです。
「独島領有権エッセンス」のなかで1996年の文章から書き足された部分が三つあるように私は推察します。
一つ目は201pの『東国輿地志』は著者不明なので柳馨遠の『輿地志』ではない、とした注釈の部分。
二つ目は205pの1711年の『欝陵島図形』の「所謂于山島」が竹嶼であることを認めた部分。
三つ目は207pの内藤正中氏のような「良心的知識人」を含めた日本の研究者が、竹島一件で安龍福は日本側(鳥取藩)から鬱陵島と于山島が朝鮮領であることを認める書契を受け取っていないと主張しているのに対して、やはり受け取っている、鳥取藩は于山島=松島(今の竹島)が朝鮮領であると認めた、と主張している部分です。
takeshima_makoto_japan さん
>>『輿地志』に「于山はすなわち倭の松島なり」との記述がなかったことは、下條さんによって論証されているのですが、それを否定し得る論拠が示されているのでしょうか。
最新の見解である以上、下條氏の主張を知らないはずはありませんが、これについてはなにも言及されていません。
>>それが示されていないのなら、「奎章閣にあった『東国輿地志』は著者不明なので柳馨遠の『輿地志』ではない。したがって1656年に書かれた柳馨遠の『輿地志』にはやっぱり「于山はすなわち倭の松島なり」と書かれている」としたところで、意味ないと思うのですが。
ご意見ごもっともです。私もそう思います。
puracyaka2007 さん
>>実際に、柳馨遠の「東国輿地志」を検討して見ると、于山島(松島)に対する新しい知識はなく、「新増東国輿地勝覧」の記録をそのまま引用することに止まっている。(柳馨違、東国興地志、巻7、江原道、蔚珍縣、山川)。”
ということじゃなかったのですかね。
呉相学氏の研究は「なかったこと」にされてしまったようです。。。
二日前にこのように書きましたが、「竹島〈独島〉・欝陵島歴史研究」の半月城氏の序文に、
「第八章は特に竹島=独島領有権に関する著者(宋炳基)の最新の見解を特集したものです。」
とあるのを見ると、これは半月城氏の最新解釈ではなく、宋炳基氏の最新解釈のようです。
この「独島領有権エッセンス」、最新の見解のわりには内容が古すぎるのではないかと思っていたところ、243pの「初出一覧」に、初出は1996年の「資料を道して見た韓国の独島領有権」であると書いてありました。
どうもこれは1996年の文章に少し書き足しただけであるようです。
「独島領有権エッセンス」のなかで1996年の文章から書き足された部分が三つあるように私は推察します。
一つ目は201pの『東国輿地志』は著者不明なので柳馨遠の『輿地志』ではない、とした注釈の部分。
二つ目は205pの1711年の『欝陵島図形』の「所謂于山島」が竹嶼であることを認めた部分。
三つ目は207pの内藤正中氏のような「良心的知識人」を含めた日本の研究者が、竹島一件で安龍福は日本側(鳥取藩)から鬱陵島と于山島が朝鮮領であることを認める書契を受け取っていないと主張しているのに対して、やはり受け取っている、鳥取藩は于山島=松島(今の竹島)が朝鮮領であると認めた、と主張している部分です。
takeshima_makoto_japan さん
>>『輿地志』に「于山はすなわち倭の松島なり」との記述がなかったことは、下條さんによって論証されているのですが、それを否定し得る論拠が示されているのでしょうか。
最新の見解である以上、下條氏の主張を知らないはずはありませんが、これについてはなにも言及されていません。
>>それが示されていないのなら、「奎章閣にあった『東国輿地志』は著者不明なので柳馨遠の『輿地志』ではない。したがって1656年に書かれた柳馨遠の『輿地志』にはやっぱり「于山はすなわち倭の松島なり」と書かれている」としたところで、意味ないと思うのですが。
ご意見ごもっともです。私もそう思います。
puracyaka2007 さん
>>実際に、柳馨遠の「東国輿地志」を検討して見ると、于山島(松島)に対する新しい知識はなく、「新増東国輿地勝覧」の記録をそのまま引用することに止まっている。(柳馨違、東国興地志、巻7、江原道、蔚珍縣、山川)。”
ということじゃなかったのですかね。
呉相学氏の研究は「なかったこと」にされてしまったようです。。。
これは メッセージ 17575 (takeshima_makoto_japan さん)への返信です.
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