明治初期の地理書『本朝國盡』の松島竹島
投稿者: ararenotomo1 投稿日時: 2009/05/09 23:44 投稿番号: [17450 / 18519]
明治7(1874)年6月に出版された学童向け日本地理の概説書『本朝國盡』にある「松島竹島」の日本領としての記述を紹介します。
『本朝國盡』は元加賀藩士で長崎に留学した洋学者・地理学者の大家緂(がい)こう(合の右に攵)(1839-1901)によって著されました。なお、国会図書館の書誌では「がいこう」ですが、「よしあつ」或は「これまさ」の読みもあります。
http://5.hobby-web.net/~tetsuyosie/isikawa/kanazawa/kanazawa/kanazawa.html
『本朝國盡』は、福澤諭吉『世界國盡』(1869)に倣い、七五調の美文を以って綴られています。最初に「大日本(ダイニツホン)ノ全國(ゼンコク)ハ赤道以北(セキダウイホク)ニ位(クラヰ)シテ南(ミナミ)ハ琉球(リウキウ)二十四度(ニジフヨド)北(キタ)ハ樺太(カラフト)五十五度(ゴジフゴド)・・」と日本の位置を示し、「・・世界(セカイ)探(サグラ)ン童等(ワランベラ)先(マツ)内國(ナイコク)ノ五畿八道(ゴキハチダウ)八十四州(ハチジフシシウ)樺太(カラフト)ヤ松竹(マツタケ)八丈(ハチヂヤウ)小笠原(ヲガサハラ)琉球諸嶋(リウキウシヨトウ)ヲ知(シ)レヨカシ」と日本の領域を統べるに際し、松島と竹島を記しています。
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40007012&VOL_NUM=00001&KOMA=1&ITYPE=0
さらに、「巻ノ二山陰道隠岐」では「・・扨(サテ)松島(マツシマ)ト竹嶋(タケシマ)ハ隠岐(オキノ)國ヨリ西北ノ沖(オキ)ニ離(サカリ)テ朝鮮(テウセン)ノ江原道ニ相對ス」と述べています。
この文から「大家よしあつ」は、「松島竹島」を日本領と認識し、それを学童に伝えたかったと思われます。しかし、『本朝國盡』をより詳しく述べた大家これまさ著『日本地理學初歩』(1875)では、日本の領域を「其地勢中土、四國、九州、北海道、唐太、小笠原島、琉球等ナリ」と書き、「隠岐國」の項に「松島竹島」の記載はありません。
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40006851&VOL_NUM=00001&KOMA=6&ITYPE=0
また、1873年の『射號日本圖記』の「日本國之圖」や1877年の『日本地誌略附圖』の「日本國総圖」に、「松島竹島」は描かれておりません。ただし、後者の「隠岐國」の図では、隠岐の西北に竹島、その東北にやや大きく松島を描いています。
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40010915&VOL_NUM=00001&KOMA=6&ITYPE=0
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40006807&VOL_NUM=00000&KOMA=29&ITYPE=0
「大家よしあつ」が、児童むけの啓蒙書とはいえ、「松島竹島」を日本領とした理由は不明ですが、彼は石川県における皇国地誌編纂の中心にいたとされるので(由谷裕哉『小松短期大学論集』No.15, p.1-22, 2003)、『Carte de l'empire du Japon』(No. 15816)や『日本地誌提要』(Nos. 15715, 15815)で「松島竹島」を日本に所属させた、塚本明毅が主導する「地誌課」の見解に同調したのかもしれません。
『本朝國盡』は元加賀藩士で長崎に留学した洋学者・地理学者の大家緂(がい)こう(合の右に攵)(1839-1901)によって著されました。なお、国会図書館の書誌では「がいこう」ですが、「よしあつ」或は「これまさ」の読みもあります。
http://5.hobby-web.net/~tetsuyosie/isikawa/kanazawa/kanazawa/kanazawa.html
『本朝國盡』は、福澤諭吉『世界國盡』(1869)に倣い、七五調の美文を以って綴られています。最初に「大日本(ダイニツホン)ノ全國(ゼンコク)ハ赤道以北(セキダウイホク)ニ位(クラヰ)シテ南(ミナミ)ハ琉球(リウキウ)二十四度(ニジフヨド)北(キタ)ハ樺太(カラフト)五十五度(ゴジフゴド)・・」と日本の位置を示し、「・・世界(セカイ)探(サグラ)ン童等(ワランベラ)先(マツ)内國(ナイコク)ノ五畿八道(ゴキハチダウ)八十四州(ハチジフシシウ)樺太(カラフト)ヤ松竹(マツタケ)八丈(ハチヂヤウ)小笠原(ヲガサハラ)琉球諸嶋(リウキウシヨトウ)ヲ知(シ)レヨカシ」と日本の領域を統べるに際し、松島と竹島を記しています。
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40007012&VOL_NUM=00001&KOMA=1&ITYPE=0
さらに、「巻ノ二山陰道隠岐」では「・・扨(サテ)松島(マツシマ)ト竹嶋(タケシマ)ハ隠岐(オキノ)國ヨリ西北ノ沖(オキ)ニ離(サカリ)テ朝鮮(テウセン)ノ江原道ニ相對ス」と述べています。
この文から「大家よしあつ」は、「松島竹島」を日本領と認識し、それを学童に伝えたかったと思われます。しかし、『本朝國盡』をより詳しく述べた大家これまさ著『日本地理學初歩』(1875)では、日本の領域を「其地勢中土、四國、九州、北海道、唐太、小笠原島、琉球等ナリ」と書き、「隠岐國」の項に「松島竹島」の記載はありません。
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40006851&VOL_NUM=00001&KOMA=6&ITYPE=0
また、1873年の『射號日本圖記』の「日本國之圖」や1877年の『日本地誌略附圖』の「日本國総圖」に、「松島竹島」は描かれておりません。ただし、後者の「隠岐國」の図では、隠岐の西北に竹島、その東北にやや大きく松島を描いています。
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40010915&VOL_NUM=00001&KOMA=6&ITYPE=0
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40006807&VOL_NUM=00000&KOMA=29&ITYPE=0
「大家よしあつ」が、児童むけの啓蒙書とはいえ、「松島竹島」を日本領とした理由は不明ですが、彼は石川県における皇国地誌編纂の中心にいたとされるので(由谷裕哉『小松短期大学論集』No.15, p.1-22, 2003)、『Carte de l'empire du Japon』(No. 15816)や『日本地誌提要』(Nos. 15715, 15815)で「松島竹島」を日本に所属させた、塚本明毅が主導する「地誌課」の見解に同調したのかもしれません。
これは メッセージ 15816 (ararenotomo さん)への返信です.
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