Re: 古賀善次 & 金嬉老事件
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2008/11/24 14:30 投稿番号: [17150 / 18519]
(続です)
ころは私の所ではやってま廿んでしたので、七と私の店にい
た南海商会0目高さんに連絡して、壮んかいいのを元百個ほ
ど送ったそうですよ。
−j結婚され仁頃は、先代の元四郎さんは健在でしたか。
※古賀辰四郎 安政三年、福岡県生。明治十二年那覇
に開店。同二十八年大間列島を探険、同二十元年開拓
認可、翌年より移民を送りこみ、鳥毛採集、漁業、鰹
節製造などの・事業を開始、犬正三年、ハ常山で真珠善
娘事業開始。『県兜別巻・近代兜辞典』 『沖縄呉百年
人物編』参照。
古賀 亡くなられた若年に結婚しました。
−−−jすると二元四郎さんのことべ いろいろお聞きになり
ました?
古賀 ええ。朧四郎さんベ ロンドンやニューヨークの博
覧会壮んかにもいろんなものを出品してはもらった賞状など、
たくさんありましたよ。残しておけばよかったんですが、そ
んなものみんな空襲で燃してしまって……
それに先代は、本土だけじゃ壮く、中国にも知事なんかと
いっしょに出掛けて、中華料理に使う:・・:イリコみたいなも
のね、モれを取引さしていたようだし、貝ボタンやなんかは
イソドヤドイッにも輸出していたようですよ。払はお店のこ
とはよくわかりませんけど……
それは直接那覇から?
古賀 いえ、大阪の店からアメリカやなんかに送ってまし 26
立。 1
−−じゃ、古賀商店の本店は郡司にあって……
古賀 そうです。
−1−大阪は支店ということで?
古賀 レや支店というより、辰四郎のお兄さんが大阪の店
にいましてね。モこへ送り付けていました。モのお兄さんと
しう人は、ヒ等の鰹節ななんかが入ると、東郷元帥に贈り届
けたりしていたそうですよ。すると執事の名前でお礼状が来
たそうだんです。でもほんとうは執事はいかくて、ご自分で
お言きになってたらしいんです。字を比べてみたら、やっぱ
り東郷元帥の字だとか苛‥ってしました。
−‐−大阪ではお兄さんがみて沖縄は朧円郎さんがみて
……だから物を送るには犬変使刊であったわけですね、窓口
があって。
古賀 千うなんですよ。もともと古賀商店の始まりは鹿児
島なんですよ。それで明治十二年の廃藩匠県と同時に、朧四
郎さんが沖縄に来られて事業を始められたんです。で、その
お兄さんのお嫁さんも鹿児島のいいところの出の人でしたよ。
−j当時、扱っていた商品は鰹節と夜光貝のほかに何か・:
古賀 昆布類、天草、貝類がいろいろあったですね。
貝類といいますと、装節用とかボタソとかに……
古賀 そうそう。
IIII外にに何に使ブにいました?
古賀 塗物の中に嵌めたりして使ってましたが、主にボタ
ンでしょうね。
−―‐‐―海産物の外には何かなかったですか。
古賀 八重山にゴマとか農産物、お米なんかを奨励して作
らせて、それでできたものを自分で買い取ったりしていまし
た。それにトゥーノチソ……あの赤いようなお餅がで号るで
しょう、それなんかもやってしましたね。八追川のお米やゴ
マなんかは船から揚げると同時に、すぐこっちの小売店の人
が並んで買っていました。
それに、お線香の材料になる犬フカヮですね。犬フカヮと
いうのは西表で採れたんですが、何か極細のお線香を作るに
は、西良産のものでないとできなかったそうです。
‐i−そのお線香というのはヤマトで使うものですか。
古賀 ええ、ヤマトの線香、細し極上のがあるでし子犬
あれです。西表は国有地がほとんどだったでしょう、それで
入札がありましてね。入札して仕入れていました。
その外にはカンテソの材料になるテングサですか、そうい
うのも蔵にありました。
−―−真珠なんかはやってなかったんですか。
古賀 はレ、けじめのうちは御木本奉告さんと組んで、凱
四郎さんがやっていました。限を付けたのは朧四郎の方が先
にに‥猷らしいんですがね:・・:ゞヤ牡で八重山に照会したり、貝
ころは私の所ではやってま廿んでしたので、七と私の店にい
た南海商会0目高さんに連絡して、壮んかいいのを元百個ほ
ど送ったそうですよ。
−j結婚され仁頃は、先代の元四郎さんは健在でしたか。
※古賀辰四郎 安政三年、福岡県生。明治十二年那覇
に開店。同二十八年大間列島を探険、同二十元年開拓
認可、翌年より移民を送りこみ、鳥毛採集、漁業、鰹
節製造などの・事業を開始、犬正三年、ハ常山で真珠善
娘事業開始。『県兜別巻・近代兜辞典』 『沖縄呉百年
人物編』参照。
古賀 亡くなられた若年に結婚しました。
−−−jすると二元四郎さんのことべ いろいろお聞きになり
ました?
古賀 ええ。朧四郎さんベ ロンドンやニューヨークの博
覧会壮んかにもいろんなものを出品してはもらった賞状など、
たくさんありましたよ。残しておけばよかったんですが、そ
んなものみんな空襲で燃してしまって……
それに先代は、本土だけじゃ壮く、中国にも知事なんかと
いっしょに出掛けて、中華料理に使う:・・:イリコみたいなも
のね、モれを取引さしていたようだし、貝ボタンやなんかは
イソドヤドイッにも輸出していたようですよ。払はお店のこ
とはよくわかりませんけど……
それは直接那覇から?
古賀 いえ、大阪の店からアメリカやなんかに送ってまし 26
立。 1
−−じゃ、古賀商店の本店は郡司にあって……
古賀 そうです。
−1−大阪は支店ということで?
古賀 レや支店というより、辰四郎のお兄さんが大阪の店
にいましてね。モこへ送り付けていました。モのお兄さんと
しう人は、ヒ等の鰹節ななんかが入ると、東郷元帥に贈り届
けたりしていたそうですよ。すると執事の名前でお礼状が来
たそうだんです。でもほんとうは執事はいかくて、ご自分で
お言きになってたらしいんです。字を比べてみたら、やっぱ
り東郷元帥の字だとか苛‥ってしました。
−‐−大阪ではお兄さんがみて沖縄は朧円郎さんがみて
……だから物を送るには犬変使刊であったわけですね、窓口
があって。
古賀 千うなんですよ。もともと古賀商店の始まりは鹿児
島なんですよ。それで明治十二年の廃藩匠県と同時に、朧四
郎さんが沖縄に来られて事業を始められたんです。で、その
お兄さんのお嫁さんも鹿児島のいいところの出の人でしたよ。
−j当時、扱っていた商品は鰹節と夜光貝のほかに何か・:
古賀 昆布類、天草、貝類がいろいろあったですね。
貝類といいますと、装節用とかボタソとかに……
古賀 そうそう。
IIII外にに何に使ブにいました?
古賀 塗物の中に嵌めたりして使ってましたが、主にボタ
ンでしょうね。
−―‐‐―海産物の外には何かなかったですか。
古賀 八重山にゴマとか農産物、お米なんかを奨励して作
らせて、それでできたものを自分で買い取ったりしていまし
た。それにトゥーノチソ……あの赤いようなお餅がで号るで
しょう、それなんかもやってしましたね。八追川のお米やゴ
マなんかは船から揚げると同時に、すぐこっちの小売店の人
が並んで買っていました。
それに、お線香の材料になる犬フカヮですね。犬フカヮと
いうのは西表で採れたんですが、何か極細のお線香を作るに
は、西良産のものでないとできなかったそうです。
‐i−そのお線香というのはヤマトで使うものですか。
古賀 ええ、ヤマトの線香、細し極上のがあるでし子犬
あれです。西表は国有地がほとんどだったでしょう、それで
入札がありましてね。入札して仕入れていました。
その外にはカンテソの材料になるテングサですか、そうい
うのも蔵にありました。
−―−真珠なんかはやってなかったんですか。
古賀 はレ、けじめのうちは御木本奉告さんと組んで、凱
四郎さんがやっていました。限を付けたのは朧四郎の方が先
にに‥猷らしいんですがね:・・:ゞヤ牡で八重山に照会したり、貝
これは メッセージ 17149 (senkaku_islands さん)への返信です.
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