Re: 開拓認可後の経営方針
投稿者: chaamiey 投稿日時: 2008/09/21 18:07 投稿番号: [17082 / 18519]
六、開拓認可後の経営方針
附改良遠洋漁業船の建造
明治17年以降本人が同島に対する経営方針は、単に年々或は時季に際して店員及び出稼ぎ労働者を派遣し鳥毛・魚介の採集の為すのみなりしが、開拓認可後は永遠の基礎を定めしが為に、同島に永住者を送り断然植民的経営の●●<籌(チュウ、はかりごと)、畫(カク、えがく:画の旧字体)、籌畫=計画>をなすに決せり。然れども当時本県下一般に用●<ヰ=い>られたる船舶は、脆弱なる琉球形船にあらざれば●<刳(コク、えぐる)>舟のみにして、到底遠洋漁業の用に堪えざるのみならず、無人島経営の交通機関としては甚だ危険なるを以って、この事を決行するに先だち予め大阪商船株式会社に依託して二艘の改良遠洋漁業船を建造することに定めたり。斯くて右の船舶は明治30年に至りて落成せるを以って、先ず之を八重山島に送り、同年3月始めて同島より出稼ぎ移民35名と食糧その他一切の日常用品を積載し、尖閣列島へ向け出帆せしめたるも、移民は内地形船舶操櫓の法を解せざりき。是れ琉球形船舶は風帆に依頼して櫓を用●<ヰ=い>す。●<刳>舟は主として手櫂を用ふるのみにして、他術を要せざるにより一般の人民全くこの術を知らざるに依るなるべし。故にこの新造船を派遣するに臨み、本人は自ら師となりて斯く術を練習せしめたり。
斯くてこの絶海の孤島に移民を行●●<ふに>方りて伴い来る所の苦心の最大なるものは、如何にして移民を安全に生存せしめ得べきかにあ●●●<りたり><。>盖し、食糧の補給は言う迄もなく●<雨>露を凌ぐの方法及び一般の衛生上疾病災難に対する救護の方法をも講ぜざるべからざるを以ってなり。然るに本人がこの事に対して多大の苦心を沸い居る時、県民の一部には本人が今回の計●<劃(カク)>を以って経<軽>●<躁(ソウ、さわぐ)>無謀の業なりと非難●<詆(テイ、そしる)>笑し、或いは悪言流布するものざえ現わるるに至りたるも、本人は之が為め却って反抗の念を高め意思愈々鞏固となりたりざれど、また彼は沈思熟考に万一災禍に●<罹(リ、かかる)>り三十有余の移民をして、彼が犠牲者たらしむが如きことあらんかを危懼するの念に堪えざりし。然るに幸いにして最初に移民を送遣したるこの二艘の改良漁業船は天候平穏何等の故障もなり二十余日を費やして同島より採集の貨物を積載して無事帰還せり。更に同年4月糧食その他を積込みて派遣したりしに、翌明治31年5月、結果頗る良好なるの報知を●<齎(もたらす)>せしを以って、本人は大阪商船株式会社と協商する所あり。同会社の所有汽船・須摩丸(千六百余頓)を借入れ、自ら移民50名を引率し食糧・日用品・器具・各種の材料等を準備して●●<首途=出発>に就けり。
本人がこの渡航は同島に移民計画の基礎を確立せんとの希望なりしが、故に暫時島内に滞留することとせり。而して先ずこれ等移民に家屋を与えんが為め建築に着手し●<井=井戸>を●●<堀鑿:鑿(サク、うがつ)>し原野の<を>拓き甘藷・野菜の類を栽培する等以って専ら航海杜絶不時の災厄に備うる設備を整えて、一先ず本店に帰還せりこの設備たるや幾百の移民等をして稍く安全に土着的生活をなさしめ、且つ開墾その他本島事業の基礎を鞏固するの一因となれり。
本人の事業進行上、最も困難を感せしは同島に於ける荷役が如何に不便にして、また航海が如何に不自由なりしかの点なりとす。抑も右尖閣列島の地形たるや海洋孤県の島嶼にして断崖四壁を●<繞(ジョウ、めぐる)>られ、天候少しく不穏なれば●●<澎湃(ほうはい)>たる怒●<濤(トウ)>其の壁を打ち絶えて港らん<し>きもの無きのし<み>ならず洋中遠く岩礁相連なり<。この句点は取ってよいでしょう>荑浪は高く之を洗い、且つ黒潮常に急峻の速度を以って流るるが故に、舟を寄するは甚だ困難を極む。●●<曩(ドウ、さき)に>同列島航海用として本人の特に建造したる改良遠洋漁業船を以ってするも、容易に陸岸に近づくこと能はず。況や千六百余トンの汽船・須摩丸の如きは到底陸岸に近づき得へからず、遠く海洋の間に投錨し物貨の陸揚げ積込をなさざるを得ざるが故に、尠からざる不便と、非常なる危険とを感じたり。斯くて陸岸よりは用意の●<刳>舟数艘を漕ぎ寄せ来りて、本船と荷物受授しなせしも、前述の如き有様なるが故に、本船は左右上下に動揺し●<刳>舟は●●<掀飜>せらし<れ>て、その仕事を為すこと能はす為に●●<覆没>の難に遭う事また一再ならざりしを以って
明治17年以降本人が同島に対する経営方針は、単に年々或は時季に際して店員及び出稼ぎ労働者を派遣し鳥毛・魚介の採集の為すのみなりしが、開拓認可後は永遠の基礎を定めしが為に、同島に永住者を送り断然植民的経営の●●<籌(チュウ、はかりごと)、畫(カク、えがく:画の旧字体)、籌畫=計画>をなすに決せり。然れども当時本県下一般に用●<ヰ=い>られたる船舶は、脆弱なる琉球形船にあらざれば●<刳(コク、えぐる)>舟のみにして、到底遠洋漁業の用に堪えざるのみならず、無人島経営の交通機関としては甚だ危険なるを以って、この事を決行するに先だち予め大阪商船株式会社に依託して二艘の改良遠洋漁業船を建造することに定めたり。斯くて右の船舶は明治30年に至りて落成せるを以って、先ず之を八重山島に送り、同年3月始めて同島より出稼ぎ移民35名と食糧その他一切の日常用品を積載し、尖閣列島へ向け出帆せしめたるも、移民は内地形船舶操櫓の法を解せざりき。是れ琉球形船舶は風帆に依頼して櫓を用●<ヰ=い>す。●<刳>舟は主として手櫂を用ふるのみにして、他術を要せざるにより一般の人民全くこの術を知らざるに依るなるべし。故にこの新造船を派遣するに臨み、本人は自ら師となりて斯く術を練習せしめたり。
斯くてこの絶海の孤島に移民を行●●<ふに>方りて伴い来る所の苦心の最大なるものは、如何にして移民を安全に生存せしめ得べきかにあ●●●<りたり><。>盖し、食糧の補給は言う迄もなく●<雨>露を凌ぐの方法及び一般の衛生上疾病災難に対する救護の方法をも講ぜざるべからざるを以ってなり。然るに本人がこの事に対して多大の苦心を沸い居る時、県民の一部には本人が今回の計●<劃(カク)>を以って経<軽>●<躁(ソウ、さわぐ)>無謀の業なりと非難●<詆(テイ、そしる)>笑し、或いは悪言流布するものざえ現わるるに至りたるも、本人は之が為め却って反抗の念を高め意思愈々鞏固となりたりざれど、また彼は沈思熟考に万一災禍に●<罹(リ、かかる)>り三十有余の移民をして、彼が犠牲者たらしむが如きことあらんかを危懼するの念に堪えざりし。然るに幸いにして最初に移民を送遣したるこの二艘の改良漁業船は天候平穏何等の故障もなり二十余日を費やして同島より採集の貨物を積載して無事帰還せり。更に同年4月糧食その他を積込みて派遣したりしに、翌明治31年5月、結果頗る良好なるの報知を●<齎(もたらす)>せしを以って、本人は大阪商船株式会社と協商する所あり。同会社の所有汽船・須摩丸(千六百余頓)を借入れ、自ら移民50名を引率し食糧・日用品・器具・各種の材料等を準備して●●<首途=出発>に就けり。
本人がこの渡航は同島に移民計画の基礎を確立せんとの希望なりしが、故に暫時島内に滞留することとせり。而して先ずこれ等移民に家屋を与えんが為め建築に着手し●<井=井戸>を●●<堀鑿:鑿(サク、うがつ)>し原野の<を>拓き甘藷・野菜の類を栽培する等以って専ら航海杜絶不時の災厄に備うる設備を整えて、一先ず本店に帰還せりこの設備たるや幾百の移民等をして稍く安全に土着的生活をなさしめ、且つ開墾その他本島事業の基礎を鞏固するの一因となれり。
本人の事業進行上、最も困難を感せしは同島に於ける荷役が如何に不便にして、また航海が如何に不自由なりしかの点なりとす。抑も右尖閣列島の地形たるや海洋孤県の島嶼にして断崖四壁を●<繞(ジョウ、めぐる)>られ、天候少しく不穏なれば●●<澎湃(ほうはい)>たる怒●<濤(トウ)>其の壁を打ち絶えて港らん<し>きもの無きのし<み>ならず洋中遠く岩礁相連なり<。この句点は取ってよいでしょう>荑浪は高く之を洗い、且つ黒潮常に急峻の速度を以って流るるが故に、舟を寄するは甚だ困難を極む。●●<曩(ドウ、さき)に>同列島航海用として本人の特に建造したる改良遠洋漁業船を以ってするも、容易に陸岸に近づくこと能はず。況や千六百余トンの汽船・須摩丸の如きは到底陸岸に近づき得へからず、遠く海洋の間に投錨し物貨の陸揚げ積込をなさざるを得ざるが故に、尠からざる不便と、非常なる危険とを感じたり。斯くて陸岸よりは用意の●<刳>舟数艘を漕ぎ寄せ来りて、本船と荷物受授しなせしも、前述の如き有様なるが故に、本船は左右上下に動揺し●<刳>舟は●●<掀飜>せらし<れ>て、その仕事を為すこと能はす為に●●<覆没>の難に遭う事また一再ならざりしを以って
これは メッセージ 17081 (senkaku_islands さん)への返信です.
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