勅令にいう「石島」はどこ? 1
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2008/03/16 08:27 投稿番号: [16368 / 18519]
半月城です。
1900(明治33)年、大韓帝国は勅令41号を公布し、欝島郡の管轄区域を「欝陵島全島」と「竹島」、「石島」としました。この石島は現在のどの島をさすのか、多くの人の関心を集めてきました。石島が竹島=独島をさすなら、竹島=独島問題への影響は重大です。それを下條氏はこう記しました。
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もしその石島が韓国側の主張通り竹島とすれば、竹島が島根県に編入された1905年よりも早く、竹島は韓国領となっていた。そうなれば日本政府による竹島の島根県編入は、韓国側の主張通り違法行為となる(注1)。
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このように重要な石島を日本の研究者はどのように考えているのか、改めて整理したいと思います。
1.梶村秀樹氏
最初に石島は竹島=独島であると主張したのは梶村秀樹氏でした。同氏はこう記しました。
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この法文(勅令41号)中の「竹島」は欝陵島の小属島である竹嶼のことだろうが、「石島」はもう一つの小属島である観音島をさすとは地形からしても沿革からしても考え難く、いまの竹島=独島をさすと解するのが最も自然であろう(注2)。
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2.内藤正中氏
石島は竹島=独島であるとして、こう記しました。
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1900年(光武四・明治三二)一〇月二五日の大韓帝国勅令四一号で、欝陵島を「欝島」と改称し、島監を「郡守」と改正するとともに、「欝島郡」の区域に欝陵島、そして「竹島」と「石島」を含めると明定したことにより、石島すなわち独島に対する大韓帝国の領有権が明確に示されたのである(注3)。
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3.大西俊輝氏
大西氏も石島は竹島=独島であるとして、こう記しました。
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石島の文言のある勅令は、中央官・禹用鼎と、地方官・蠔季周の報告に拠ったもの、そこに立ち会うのがラ・ボーテである。だから彼らの島の認識は一致していなければならない。勅令は鬱陵島の属島として、竹島と石島を記す。そしてラ・ボーテの報告は、鬱陵島の属島として、竹島と于山島を記す。となれば石島とは、すなわち于山島を指すものとなる。それは遙かな岩礁の島、独島(リアンクール岩)のことだった(注4)。
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大西氏はチュクト(竹島、竹嶼)と于山島を明確に区別し、于山島を石島としているのが注目されます。
(つづく)
1900(明治33)年、大韓帝国は勅令41号を公布し、欝島郡の管轄区域を「欝陵島全島」と「竹島」、「石島」としました。この石島は現在のどの島をさすのか、多くの人の関心を集めてきました。石島が竹島=独島をさすなら、竹島=独島問題への影響は重大です。それを下條氏はこう記しました。
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もしその石島が韓国側の主張通り竹島とすれば、竹島が島根県に編入された1905年よりも早く、竹島は韓国領となっていた。そうなれば日本政府による竹島の島根県編入は、韓国側の主張通り違法行為となる(注1)。
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このように重要な石島を日本の研究者はどのように考えているのか、改めて整理したいと思います。
1.梶村秀樹氏
最初に石島は竹島=独島であると主張したのは梶村秀樹氏でした。同氏はこう記しました。
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この法文(勅令41号)中の「竹島」は欝陵島の小属島である竹嶼のことだろうが、「石島」はもう一つの小属島である観音島をさすとは地形からしても沿革からしても考え難く、いまの竹島=独島をさすと解するのが最も自然であろう(注2)。
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2.内藤正中氏
石島は竹島=独島であるとして、こう記しました。
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1900年(光武四・明治三二)一〇月二五日の大韓帝国勅令四一号で、欝陵島を「欝島」と改称し、島監を「郡守」と改正するとともに、「欝島郡」の区域に欝陵島、そして「竹島」と「石島」を含めると明定したことにより、石島すなわち独島に対する大韓帝国の領有権が明確に示されたのである(注3)。
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3.大西俊輝氏
大西氏も石島は竹島=独島であるとして、こう記しました。
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石島の文言のある勅令は、中央官・禹用鼎と、地方官・蠔季周の報告に拠ったもの、そこに立ち会うのがラ・ボーテである。だから彼らの島の認識は一致していなければならない。勅令は鬱陵島の属島として、竹島と石島を記す。そしてラ・ボーテの報告は、鬱陵島の属島として、竹島と于山島を記す。となれば石島とは、すなわち于山島を指すものとなる。それは遙かな岩礁の島、独島(リアンクール岩)のことだった(注4)。
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大西氏はチュクト(竹島、竹嶼)と于山島を明確に区別し、于山島を石島としているのが注目されます。
(つづく)
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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