陸軍陸地測量部が線引した理由?
投稿者: kwsk_my 投稿日時: 2006/10/17 11:38 投稿番号: [15011 / 18519]
その海域で、島根県と竹島(独島)の間に線が引かれたのは、
軍事作戦上の都合で、鬱陵島と竹島(独島)がセットされたからではないでしょうか?
日露戦争で、
日本海軍とロシアのバルチック艦隊の海戦が
鬱陵島-竹島(独島)の周辺でありましたよね。
年表形式にしてみました
1905年04月08日 バルチック艦隊、シンガポール沖を通過
1905年05月27日 日本海(対馬沖)海戦
海戦終了後、日本海軍、鬱陵島に終結
1905年05月28日 ネボガトフ提督、竹島沖にて降伏
ロジェストベンスキー提督、鬱陵島沖にて降伏
1905年07月 海軍人夫38名竹島に上陸し、仮設望標を建てる
1905年08月16日 竹島東島望楼完成
1905年09月05日 ポーツマス条約 調印
1905年11月17日 第2次日韓協約 調印
海上防衛の必要性から
竹島(独島)に望楼を設置したわけで、鬱陵島と連携をしていたのだと思います。
だから、竹島と鬱陵島は軍事上の都合でセットになった?
陸軍陸地測量部が地図を書く権限があったのなら、
軍事上の都合も考えて、線引きをするでしょうね。
ですから、竹島(独島)が朝鮮国領度という認識で地図を作るよりも、
軍事上の作戦の遂行を優先した考えで、区切りの線を書き入れると思いますが、
どんなものなのでしょうね。
これは メッセージ 15005 (Am_I_AHO_1st さん)への返信です.
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