Re: 島根県の見解について
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/10/16 00:08 投稿番号: [15003 / 18519]
相変わらず、太政官の判断における地理的な不認識についての私の指摘については、前回の「偶然の一致」以外は、何のご返答もいただけず残念ですが、ご質問について、私の考えはお答えしておくことにします。
>ahirutousagi2さんは明瞭に書きづらいのかも知れませんが、島根県が「外一島とは、現在の竹島とみられる」と考えている事実自体は認めるのでしょうか?
認めていませんよ。太政官が考えた竹島・松島の位置は、繰り返しますが、アルゴノートとダジュレーであったと考えるのが前後の資料から判断して妥当です。ですから、太政官の判断を下した「版図外」は、結果として、鬱陵島のみです。
ただし、以前にも記しましたが、太政官が版図外とした島名が「竹島・松島」にほかならないではないか、ということは、問題にはなりえます。
つまり「竹島・松島」を版図外としたのであれば、地理的な認識は伴わなかったとしても、江戸時代からの政府の立場の整合性から考えれば、竹島=独島を版図外と一旦は規定した、と見なすことは、やむをえない部分があるのではないかと。
その点で、島根県の理解そのものは、私はさほど違和感はありません。それはそうでしょう。太政官が松島=ダジュレーと判断したというのは、あくまで前後の資料からの整合的な判断であって、それについての直接的な根拠はありません。
さしあたり、こうした理解は充分にありうることです。
しかし、翌年には外務省が松島=鬱陵島とし、その後、正式に松島=鬱陵島で規定しているわけですから、結果としては、明治政府は鬱陵島の向こうまでを版図外としたと考えたと見てよい、と私は考えています。
そのあたりの混乱を国際法での領土紛争においてどう処理されるのかは私は知りませんが、あくまで資料的な整合性から判断できるのは、そういうことです。
一方、太政官が松島を正しくリアンクール岩と判断して版図外としたと半月城さんが考えるとすれば、私は、それは何ら根拠もない話に過ぎないと思いますよ。研究者がそう考えたとしても、同様。
この問題に対する理解の可能性は以下の通りです。(竹島・松島を版図外としたことを前提とする)
1.太政官が単に古来からの理解による松島を版図外とした。(地理的理解は関係なし)
2.太政官が松島=ダジュレーと理解した。
3.太政官が松島=リアンクール岩と理解した。
このうち3はありえません。ありうるのは1.2だけです。私は前後の流れから2を取りますし、諸研究者は2の具体的な資料を明らかにできない以上は一旦は1を取らざるをえないでしょう。半月城さんは、どうやら3のようですが。
要約すると、おそらくは太政官は現在の鬱陵島の位置までを版図外とした。ただ、古来からの「竹島・松島」を版図外としたことをどう考えるかは問題となりうるが。というのが私の理解です。
何だか半月城さんが「ahirutousagi2さんもとうとう認めました」と言い始めるのではないかと危惧していますが、私はあくまで、以前から「竹島・松島を版図外としたことをどう考えるかは問題となりうる」と書いていますので、うそだと思うなら、昔の書き込みをご確認ください。
私の立場は一貫していますよ。そして、上記の2が真実に近いと判断しているわけですよ。
>私は、この問題についてはもはやこれで十分満足です。
歴史の理解に満足だの何だの、あるのでしょうか。やはり、私とは出発点が違っていらっしゃるようです。
>ahirutousagi2さんは明瞭に書きづらいのかも知れませんが、島根県が「外一島とは、現在の竹島とみられる」と考えている事実自体は認めるのでしょうか?
認めていませんよ。太政官が考えた竹島・松島の位置は、繰り返しますが、アルゴノートとダジュレーであったと考えるのが前後の資料から判断して妥当です。ですから、太政官の判断を下した「版図外」は、結果として、鬱陵島のみです。
ただし、以前にも記しましたが、太政官が版図外とした島名が「竹島・松島」にほかならないではないか、ということは、問題にはなりえます。
つまり「竹島・松島」を版図外としたのであれば、地理的な認識は伴わなかったとしても、江戸時代からの政府の立場の整合性から考えれば、竹島=独島を版図外と一旦は規定した、と見なすことは、やむをえない部分があるのではないかと。
その点で、島根県の理解そのものは、私はさほど違和感はありません。それはそうでしょう。太政官が松島=ダジュレーと判断したというのは、あくまで前後の資料からの整合的な判断であって、それについての直接的な根拠はありません。
さしあたり、こうした理解は充分にありうることです。
しかし、翌年には外務省が松島=鬱陵島とし、その後、正式に松島=鬱陵島で規定しているわけですから、結果としては、明治政府は鬱陵島の向こうまでを版図外としたと考えたと見てよい、と私は考えています。
そのあたりの混乱を国際法での領土紛争においてどう処理されるのかは私は知りませんが、あくまで資料的な整合性から判断できるのは、そういうことです。
一方、太政官が松島を正しくリアンクール岩と判断して版図外としたと半月城さんが考えるとすれば、私は、それは何ら根拠もない話に過ぎないと思いますよ。研究者がそう考えたとしても、同様。
この問題に対する理解の可能性は以下の通りです。(竹島・松島を版図外としたことを前提とする)
1.太政官が単に古来からの理解による松島を版図外とした。(地理的理解は関係なし)
2.太政官が松島=ダジュレーと理解した。
3.太政官が松島=リアンクール岩と理解した。
このうち3はありえません。ありうるのは1.2だけです。私は前後の流れから2を取りますし、諸研究者は2の具体的な資料を明らかにできない以上は一旦は1を取らざるをえないでしょう。半月城さんは、どうやら3のようですが。
要約すると、おそらくは太政官は現在の鬱陵島の位置までを版図外とした。ただ、古来からの「竹島・松島」を版図外としたことをどう考えるかは問題となりうるが。というのが私の理解です。
何だか半月城さんが「ahirutousagi2さんもとうとう認めました」と言い始めるのではないかと危惧していますが、私はあくまで、以前から「竹島・松島を版図外としたことをどう考えるかは問題となりうる」と書いていますので、うそだと思うなら、昔の書き込みをご確認ください。
私の立場は一貫していますよ。そして、上記の2が真実に近いと判断しているわけですよ。
>私は、この問題についてはもはやこれで十分満足です。
歴史の理解に満足だの何だの、あるのでしょうか。やはり、私とは出発点が違っていらっしゃるようです。
これは メッセージ 14999 (ban_wol_seong さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/15003.html