竹島

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日本とGHQのやり取りに李大統領激怒

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2006/05/01 23:22 投稿番号: [13586 / 18519]
1949年11月付の草案は、東京に派遣されているGHQ外交局長で、アメリカ駐日政治顧問ウイリアム・シーボルト(William J.Sebald)にも送付された。シーボルトは後に、講和条約・安保条約交渉をジョン・ダレス(John F.Dulles)国務長官特別顧問のもとで行っており、日本政府と最も接触を持つアメリカ人の一人であり、実質的な初代駐日大使と言ってもよい。そのシーボルトは日本問題専任であったバターワース(Bttterworth)国務次官補への1949年11月14日付電報の中で、草案に対して次のような勧告をしている。特に竹島関係の部分は次のように勧告していた。

「第六条   リアンクール岩(竹島)の再考を勧告する。この島に対する日本の領土主張は古く、正当と思われる。安全保障の考慮がこの地に気象およびレーダー局を想定するかもしれない」
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/frus1949-900.jpg
(原文は、FRUS   1949年版・900ページ参照)




韓国側の修正要求
  竹島を日本の領域内に含む米英共同草案に対し、韓国は1951年7月19日、ヤン・ユンチャ駐米大使名で次のような意見書を提出した。

「わが政府は、第2条a項の「放棄する」という語を、「朝鮮並びに済州島、巨文島、鬱陵島、独島及びパラン島を含む、日本による朝鮮併合前に朝鮮の一部であった島々へのすべての権利、権原及び請求権1945年8月9日に放棄したことを確認する」と置き換えるよう要望する。」
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/frus1951-1206.jpg
(原文は、上記FRUS 1951年版・1206ページ参照)




この意見書を受けたダレスとヤン大使の会談では、竹島の取り扱いについては次のような話がされている。

「ダレス氏は、独島及びパラン島2島の位置について尋ねた。ハン氏(駐米一等書記官)は、これらは日本海にある小島であり、だいたい鬱陵島の近くだと思う   と述べた。ダレス氏は、これらの島が日本の朝鮮併合前に朝鮮のものであったかどうか尋ね、大使は肯定した。ダレス氏は、もしそうであれば条約中の日本による韓国領土権放棄に関する適当な箇所にこれらの島を入れることについて、特に問題はないとした。」
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/frus1951-1202.jpg
(原文は上記FRUS 1951年版・1203ページの上の部分参照)



このダレス・ヤン会談では竹島が韓国の領域に組み込まれるように見えた。ところがアメリカ政府からの正式な回答は、それまでの国務省の方針に基づき、会談とは全く違った内容のものであった。

「独島または竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人である岩礁は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。この島は、かつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思われません。」
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/frus1951-1202.jpg
((原文は上記FRUS 1951年版・1203ページの下の部分[小文字の文章]参照)



アメリカは竹島の取り扱いについて韓国側の要求を拒否し、日本の領域内に入れることを選択した。結局、サンフランシスコ平和条約でもこの方針が貫かれることとなる。

李大統領は、(ハッタリで言った存在しないパラン島も)、対馬の領有も、竹島の領有も、この時点では何も手に入れることは出来なかった。このままでは竹島は日本の領土になってしまう・・・。激怒し危機感を覚えた李大統領は、サンフランシスコ講和条約が発効する3ヶ月前の直前に李ラインを設定し、竹島をその領内に入れたのだった。
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