竹島

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于山雑感

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2006/04/15 16:21 投稿番号: [12772 / 18519]
  新羅が征服したと云われている于山だが、古来海上にあっては「島」を「山」と表記する場合があり、もしそうだとしたら于山=于島と云う直接的な関係が成立することになる。
  一方、日本では鬱陵島のことを「宇流麻島」と呼ぶこともあった。
  高麗時代に「しらきのうるま」(新羅の宇流麻)と呼んだとする例が『大日本史』に記載されている。また松浦武四郎が明治4年に表した『竹島雑誌』にも同様の記載がある。
  確証はないが、于山国は于流麻国の略称であったとも考えられる。

  現代では「うるま」は沖縄の雅称とも云われており、まだまだ謎の多い12世紀以前の琉球史との関連については、興味の尽きないものがある。
  ひょっとすると、沖縄付近を通過する黒潮から分岐する対馬暖流と何某かの関係があるのかもしれない。
  また、かつて日本の東北地方を支配したアイヌ民族は、琉球民族と近縁にあるのではないかとする説もあり、或いは黒潮や対馬海流を媒介しての交流が有ったのだろうか。

  陸地の歴史だけを見れば、日本国は鬱陵島と獨島の領有を放棄している。
  しかし、陸地の歴史に現れない海人の歴史では必ずしもそうではない。
  明代に著された『籌海図編』(1562年)には、竹島(鬱陵島)を日本の島として描いており、『籌海図編』の成立過程で倭寇から情報収集している事実を勘案すれば、倭寇と呼ばれた海人の間では竹島(鬱陵島)を自分たちの領域と見なしていたと考えることも出来る。
  新羅に征服された筈の于山は陸地の歴史だとすれば、海の民は陸地の歴史に縛られずに自由に大海原を渡っていたのだろうか。
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