プクパ作戦
投稿者: doronpa95 投稿日時: 2011/02/13 14:04 投稿番号: [96 / 696]
"天安(チョナン)ハム事件と延坪島(ヨンピョンド)砲撃で志気が落ちた軍後輩らに自信を植え付けることもできるのでないか"という何回の懇請終わりに去る10日国会議員会館執務室で難しくイ議員に会った。
彼は1967年9月陸軍大尉で609特攻隊長で勤めた時期、他の隊員3人と軍事境界線を越えて北朝鮮、開豊郡(ケプングン)に浸透した。 イ議員と隊員らは当時土の中に地雷を設置している北朝鮮軍とぶつかって13人を射殺したし、以後にも2回北朝鮮に浸透して22人の北朝鮮軍を追加で射殺した。
イ議員は1967年自身のプクパ作戦が'報復報復作戦'の一環に進行された最初の作戦であり、当時北朝鮮は数十回にかけて韓国前後方を浸透していたと紹介した。 国会国防委に報告された資料によれば共産軍挑発は1966年に57件で1967年118回に急速に増えた。
彼は44年の間隠されていた軍事機密が世間に知られた理由に対して"既に永くて前に機密が解除された懸案"と説明した。
しかも2008年機務司令部国政監査時は機務司令部が国会国防委員会所属議員らにプクパ作戦など自身の業績らを集めて資料集まで作って見せてくれたということだ。
しかしイ議員は当時作戦状況を尋ねた質問にたやすく口を開かなかった。 機密は解除されたがわが軍の作戦と戦略が詳細に外部で知らされるかと思って気持ちが楽ではないといった。
彼は"過去のことが知らされて注目を引いてスターになろうとする考えは全くない"としながら"ただし自ら命をかけて国を守った先輩らの話を通じてクンの後輩らが自信を持ったら良いだろう"と難しく暗示した。
デジタルニュースチーム・ニューシス
テロリストじゃないか
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