朝鮮人BC級戦犯の遺書
投稿者: nishina3777 投稿日時: 2004/03/05 23:36 投稿番号: [5582 / 43168]
「原田閣下
閣下の言はれた事をそのまま信じて行きます。お元気で。この気持ちをそのまま言ひ表すことが出来ません。うれしいやうな、よかったというやうな気持です。うそぢゃないです。ほんとにお世話になりました。元気で行きます。」(金長禄・シンガポール
チャンギーにて刑死)
「終戦後俘虜の取扱に関し戦争法規違反者として起訴され、シンガポール英軍軍事法廷に於て昭和二十一年七月二十三日死刑の宣告を受けました。私の死に対して皆様哀しく思はないで下さい。私が愚かな為に皆様を心配させました。私は皆様の幸福を祈って気持ちよく昇天し、再び現実界に生まれ更って常に皆様のお傍にをります。執行受ける前夜、私は嫂様が赤い上衣に黄の下衣を着て居られる夢を見ました。二世として生まれかはってこの怨をむくゆる事が出来るのを喜んでいます。(中略)皆様の幸福を祈りつつ、東洋平和の犠牲として潔く散って行きます。」(千光麟・チャンギーにて刑死)
「終戦後俘虜の取扱に関し戦争法規違反として起訴せられ、昭和二十一年九月五日死刑を宣告せられました。何事も運命と思ひ諦めて下さい。(中略)正義、平和、親愛、望、永遠に忘るべからず。」(張水業・チャンギーにて刑死)
「戦後俘虜の取扱に関し戦争法規違反として起訴せられ、昭和二十一年八月二十二日死刑を宣告せられました。何事も運命と思ひ諦めて下さい。本当に長い間色々お世話になりました。只々皆様の幸福を祈って居ります。
永遠の東洋再起は東洋人の手に
肉体は死去するも霊魂は不滅なり
非命二十七青春」(姜泰協・チャンギーにい刑死)
「(阿部中尉宛)阿部さん、色々有難う。満ち足りた気持ちで行きます。ガチャンと共に開けるであらう豁然としたものを信じて私は行くのです。」
「(若松大尉宛)しょげたら駄目だよ。待っています。元気でついて来て下さい。『余り大したもんぢゃないですよ』、体は腐っても必ず魂魄は!何とか在りつづけます。故国日本、朝鮮のいやさかを祈りつつ行ったと言ってやって下さい。」(趙文相・チャンギーにて刑死)
朝鮮人BC級戦犯148人、うち死刑23人。
台湾人BC級戦犯173人、うち死刑26人。
先の李鶴来の場合、未成年の軍属の彼の罪状は「(彼は)ヒントク収容所長で管理将校であったが、所内の設備は劣悪で、給養、被服、医薬も不足していた。部下の暴行を阻止しなかった。また、患者を就労させた」という滅茶苦茶なもの。裁判には九人のオーストラリア元俘虜の告訴人が一人も出廷せず、判決は死刑。(後に減刑)
中国裁判(国民党裁判)はさらに滅茶苦茶で、判決も身代金の多寡で左右された。処刑された朝鮮人軍属は不運と言うべきか。(ちなみに中共裁判はさらに滅茶苦茶で三千五百人以上の日本人が理由なく殺された。)
>「戦地勤務」からどうすれば「道路工事の監督のようなもの」を想像できるのでしょう(笑)
「監視要員」の応募だったので作業を監視する仕事だと思ったようです。
軽く考えた理由としては、彼がまだ十七才で社会経験が乏しかったこと、また内地に比べて朝鮮では目立った空襲もなく、終戦まで比較的平穏であったために緊迫感をあまり感じていなかったことなどが考えられます。
「終戦後俘虜の取扱に関し戦争法規違反者として起訴され、シンガポール英軍軍事法廷に於て昭和二十一年七月二十三日死刑の宣告を受けました。私の死に対して皆様哀しく思はないで下さい。私が愚かな為に皆様を心配させました。私は皆様の幸福を祈って気持ちよく昇天し、再び現実界に生まれ更って常に皆様のお傍にをります。執行受ける前夜、私は嫂様が赤い上衣に黄の下衣を着て居られる夢を見ました。二世として生まれかはってこの怨をむくゆる事が出来るのを喜んでいます。(中略)皆様の幸福を祈りつつ、東洋平和の犠牲として潔く散って行きます。」(千光麟・チャンギーにて刑死)
「終戦後俘虜の取扱に関し戦争法規違反として起訴せられ、昭和二十一年九月五日死刑を宣告せられました。何事も運命と思ひ諦めて下さい。(中略)正義、平和、親愛、望、永遠に忘るべからず。」(張水業・チャンギーにて刑死)
「戦後俘虜の取扱に関し戦争法規違反として起訴せられ、昭和二十一年八月二十二日死刑を宣告せられました。何事も運命と思ひ諦めて下さい。本当に長い間色々お世話になりました。只々皆様の幸福を祈って居ります。
永遠の東洋再起は東洋人の手に
肉体は死去するも霊魂は不滅なり
非命二十七青春」(姜泰協・チャンギーにい刑死)
「(阿部中尉宛)阿部さん、色々有難う。満ち足りた気持ちで行きます。ガチャンと共に開けるであらう豁然としたものを信じて私は行くのです。」
「(若松大尉宛)しょげたら駄目だよ。待っています。元気でついて来て下さい。『余り大したもんぢゃないですよ』、体は腐っても必ず魂魄は!何とか在りつづけます。故国日本、朝鮮のいやさかを祈りつつ行ったと言ってやって下さい。」(趙文相・チャンギーにて刑死)
朝鮮人BC級戦犯148人、うち死刑23人。
台湾人BC級戦犯173人、うち死刑26人。
先の李鶴来の場合、未成年の軍属の彼の罪状は「(彼は)ヒントク収容所長で管理将校であったが、所内の設備は劣悪で、給養、被服、医薬も不足していた。部下の暴行を阻止しなかった。また、患者を就労させた」という滅茶苦茶なもの。裁判には九人のオーストラリア元俘虜の告訴人が一人も出廷せず、判決は死刑。(後に減刑)
中国裁判(国民党裁判)はさらに滅茶苦茶で、判決も身代金の多寡で左右された。処刑された朝鮮人軍属は不運と言うべきか。(ちなみに中共裁判はさらに滅茶苦茶で三千五百人以上の日本人が理由なく殺された。)
>「戦地勤務」からどうすれば「道路工事の監督のようなもの」を想像できるのでしょう(笑)
「監視要員」の応募だったので作業を監視する仕事だと思ったようです。
軽く考えた理由としては、彼がまだ十七才で社会経験が乏しかったこと、また内地に比べて朝鮮では目立った空襲もなく、終戦まで比較的平穏であったために緊迫感をあまり感じていなかったことなどが考えられます。
これは メッセージ 5557 (dylake2r5j1 さん)への返信です.
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