アメリカに密入国していた日本人爆笑
投稿者: apoon5 投稿日時: 2009/01/11 15:08 投稿番号: [40991 / 43168]
1894年までに26回のアメリカ移民船、日本人3万人 が移住した。
しかし、日米移民摩擦が外交問題化。
ルート国務長官
「日本人は学生とし称し、または無資力の商人として入国し、
直ちに労働者になる者が多い」
1907年〜08年
日米に移民制限の紳士協定が成立。これにより、密航者が発生する。
おまけに、同胞から「利を図るが為に良民を扇動する徒」が出現、
斡旋業者取締のため、
早くも1894年に移民保護規則が制定されるほどの過熱ぶりだった。
永井荷風<あめりか物語>
「外国で3年辛苦すれば国に帰ってから一生楽に暮らせると思い込んで」
1920年
駐サンフランシスコ、太田総領事の報告 「不正入国者は1万人」
軋轢は激化、現地で日本移民の排斥団体まで出現し、日本人排斥の陳情が行われる。
1924年
連邦排日移民法制定
これで中南米に移民がシフト、密入国者が続発する。
貧しかった日本人は明治32年 790人がペルーへ。
ブラジルと条約(修好条約?)が締結された。
ブラジルでは奴隷解放で人手不足であり、「奴隷の代わり」として日本人が必要だった。
明治41年 笠戸丸で781人がサントス港へ。
当時、日本では旱魃や飢饉で米の不作が続き、WWⅠ後(1918)の不況も加わって、
多くの農民、都市生活者が失業していた。
初期移民はブラジル人の契約農民として、coffee園や農場で働く。
1923の関東大震災・昭和恐慌で日本に失業の嵐が吹き荒れる。
日本政府はブラジル州政府?に、
未開のジャングルや、アマゾン川流域の土地を払い下げてもらい、
積極的に移住政策を進めた。
1933年頃(S8)、最盛期には年間2万人が渡米。
現実は厳しかった
開墾に何年もかかるジャングルなどが割り当てられたからだ。
緑の地獄と呼ばれた密林を切り開き、
マラリア、黄熱病に苦しみながら開発、辛酸をなめ続ける。
侵略戦争の開始で日本と国交断絶後は、
ブラジルで日本人排斥運動。
終戦後、日本人同士でテロ殺人事件を起こし
ブラジルで日本人へのイメージを失墜させる。
ニユーカレドニアには
明治から大正にかけて5600人以上の日本人貧困層が当地に渡航。
過酷な日本人差別に苦しんだ。
差別用語は「日本人」でした。
そして、満州侵略。
まるでイスラエルのように防波堤としての移民が続々と送り込まれ、
現地に放棄されました。
その後、軍隊に見捨てられた国民は
ソ連の奴隷にされ、女性は兵隊の玩具にされました。
戦後も5~60年代まで南米などへ移民していた。
深刻な食糧難と人口問題に直面していた1956年当時
戦後引揚者が700万人もいたからだ。
外務省は対策として、10年で43万人の移民政策をとる。
杜撰な棄民政策で、日系移民が日本政府を提訴したのは最近のことです。
http://www.kjclub.com/jp/exchange/theme/read.php?uid=867&fid=867&thread=1000000&idx=1&page=1&tname=exc_board_11&number=668
しかし、日米移民摩擦が外交問題化。
ルート国務長官
「日本人は学生とし称し、または無資力の商人として入国し、
直ちに労働者になる者が多い」
1907年〜08年
日米に移民制限の紳士協定が成立。これにより、密航者が発生する。
おまけに、同胞から「利を図るが為に良民を扇動する徒」が出現、
斡旋業者取締のため、
早くも1894年に移民保護規則が制定されるほどの過熱ぶりだった。
永井荷風<あめりか物語>
「外国で3年辛苦すれば国に帰ってから一生楽に暮らせると思い込んで」
1920年
駐サンフランシスコ、太田総領事の報告 「不正入国者は1万人」
軋轢は激化、現地で日本移民の排斥団体まで出現し、日本人排斥の陳情が行われる。
1924年
連邦排日移民法制定
これで中南米に移民がシフト、密入国者が続発する。
貧しかった日本人は明治32年 790人がペルーへ。
ブラジルと条約(修好条約?)が締結された。
ブラジルでは奴隷解放で人手不足であり、「奴隷の代わり」として日本人が必要だった。
明治41年 笠戸丸で781人がサントス港へ。
当時、日本では旱魃や飢饉で米の不作が続き、WWⅠ後(1918)の不況も加わって、
多くの農民、都市生活者が失業していた。
初期移民はブラジル人の契約農民として、coffee園や農場で働く。
1923の関東大震災・昭和恐慌で日本に失業の嵐が吹き荒れる。
日本政府はブラジル州政府?に、
未開のジャングルや、アマゾン川流域の土地を払い下げてもらい、
積極的に移住政策を進めた。
1933年頃(S8)、最盛期には年間2万人が渡米。
現実は厳しかった
開墾に何年もかかるジャングルなどが割り当てられたからだ。
緑の地獄と呼ばれた密林を切り開き、
マラリア、黄熱病に苦しみながら開発、辛酸をなめ続ける。
侵略戦争の開始で日本と国交断絶後は、
ブラジルで日本人排斥運動。
終戦後、日本人同士でテロ殺人事件を起こし
ブラジルで日本人へのイメージを失墜させる。
ニユーカレドニアには
明治から大正にかけて5600人以上の日本人貧困層が当地に渡航。
過酷な日本人差別に苦しんだ。
差別用語は「日本人」でした。
そして、満州侵略。
まるでイスラエルのように防波堤としての移民が続々と送り込まれ、
現地に放棄されました。
その後、軍隊に見捨てられた国民は
ソ連の奴隷にされ、女性は兵隊の玩具にされました。
戦後も5~60年代まで南米などへ移民していた。
深刻な食糧難と人口問題に直面していた1956年当時
戦後引揚者が700万人もいたからだ。
外務省は対策として、10年で43万人の移民政策をとる。
杜撰な棄民政策で、日系移民が日本政府を提訴したのは最近のことです。
http://www.kjclub.com/jp/exchange/theme/read.php?uid=867&fid=867&thread=1000000&idx=1&page=1&tname=exc_board_11&number=668
これは メッセージ 1 (dylake2r5j1 さん)への返信です.
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