朝鮮近代女性はどうして日本留学を選んだか
投稿者: japanese_chosun 投稿日時: 2007/11/22 23:09 投稿番号: [39451 / 43168]
(ソウル=聨合ニュース)20世紀の初め、日帝の朝鮮支配が作り出した流れの一つは、多くの朝鮮の人々
が留学生、労働者、移住者などが日本に流れて行ったことだ。日本に渡った留学生の中では、女性も
意外に多かった。
1929年、朝鮮唯一の女性専門学校梨花女専には138人の学生がいた。一方、日本には21の女性専門学校
に158人の朝鮮女学生が在学していた。1910年34人に過ぎなかった女性留学生は、1942年2千947人に増
えた。何が彼女たちを日本に渡らせたのだろうか。また、彼女らの選択は、朝鮮社会にどのような影
響を及ぼしただろうか。
日本の筑波大学専任講師である朴宣美(パク・ソンミ)さんは、男性に比べて照明を受けられなかっ
た朝鮮女性留学生の意識と帰国後の生活、彼女らが当時の社会に及ぼした影響などを著書「近代女性、
帝国を経て朝鮮に回遊する」(日本の書名:朝鮮女性の知の回遊―植民地文化支配と日本留学)で詳
しく分析した。
留学初期の1910年代は西欧の近代文明を学んで社会を開化しなければならないという'実力養成論'が
女性たちの留学背景として多く作用した。しかし、1920-30年代は'実力養成論'が上級学校進学や社会
進出のようなもうちょっと実用的で知的な理由に取り替えられる。粋で発展した'東京'に対するあこ
がれで一部の富裕階層では日本留学が一つの流行になった。留学に行った朝鮮女学生たちが一番多く
選択した科目は家庭学だった。
近代的家族観を習得した人々は、帰国後の朝鮮社会に衛生的な意識生活、科学的な育児のやり方、夫
婦の同伴自適、愛情関係などを紹介して人々を啓蒙する。しかし、1930年代末の戦時体制になると家
庭学の'解放的側面'は、帝国の利益に奉仕する二重的な面貌を見せるようになる。女性留学生たちを
中心に形成された一種のジェンダー論である「良妻賢母論」も奴隷状態の女性を解放する議論で初め
て導入された後「近代化された主婦と母親論」に発展するが、戦時体制のもとでは「軍国が母親」に
まで退行してしまう。
「良妻賢母論」この単純で儒教的な価値観が続いて来たことや男性中心主義と日本帝国主義が強要し
たイデオロギーだけではない、という著者の主張もおもしろい。著者は「良妻賢母論」の伝統的女性
観ではない家庭内女性の地位を確立しようとしたのが近代的女性観だったし、今日まで女性の意識と
行動に影響を及ぼして、女性を狗束して来た'良妻賢母'という規範を形成して来た主体が'女性自身'
だったと言う。
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