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Re: 韓国のカレー専門店はじめて物語

投稿者: samurai_03_japanjp 投稿日時: 2006/03/15 22:38 投稿番号: [33155 / 43168]
>起源は定かでないが 日本で進化発展したものらしい。

大元はリンク先の通り、1872年(明治5年)「西洋料理指南」(敬学堂主人箸)「西洋料理通」(仮名垣魯文書)でカレーが紹介されたのが、日本での「初カレー」ですね。
最初は横浜で紹介されたようです。(外国人居留地で働くコックから広まったとか)

現在の形のカレーの「原型」は諸説あるようですが、一応「帝国海軍」が出所、とされているようです。

創設時、日本帝国海軍が師事した英国海軍は、食事のシチューに使う牛乳が日持ちしない為、
牛乳の代わりに日持ちのよい香辛料である、カレーパウダーを入れたビーフシチューとパンを糧食にしていました。

で、当の日本帝国海軍はと言うと。

当初カレーには英国式にパンを供していました。
しかし、これは概して水兵(下士官も)には不評でした。
そのため「米麦食」にカレーを乗せたところ、好評であったことから、調理が手早く出来て、
肉と野菜の両方がとれるバランスのよい食事として、カレーライスを兵員食に採用。
海軍当局は1908年発行の「海軍割烹術参考書」に掲載しております。

尚、「白米食」は海軍では早くに「米麦食」に切り替わっております。
明治15年(1882年)の遠洋航海(ニュージーランド行き)中、大量の脚気患者が発生(乗組員376名中、200名弱。内、25名死亡)
この原因を、乗組軍医士官高木兼寛軍医が白米食(当時は下士官兵まで三食白米食)にあると推定。
以降、海軍当局は兵食を米麦食とパン食の混合に切り替えています。
(明治17年から同30年頃までは週に15食がパン食でした。
残り6食が米麦食です。
その後、明治31年からは週に7食になり、大正7年以降は軍港内では週に4食、軍港外では2食に減ります。
その後、昭和6年には軍港内3食、軍港外ではパンを支給する必要なし。となります。
その空いた「穴」は、「米麦食」でした)

「普及」と言う点では、通説の「海軍説」ではなく、小生は「陸軍説」支持派なのですが。

帝国陸軍でも、日露戦争後の明治43年(1910年)、「軍隊調理法」(陸軍省発刊)の中で、
「カレーライス(カレー汁掛飯):鍋に少量のヘットまたはラードを入れ、
其中に出来るだけ細かに刻みたる玉ねぎとカレー粉とを適宜に入れて好く炊き、
之に采の目形に切りたる肉とを混ぜ、湯を注ぎ、塩を加え、また僅かの酢を入れ、一時間ほど煮るなり。
之を飯に注けて用いるなり。飯はかなり硬目に炊くを可とする」といった具合に「制定」されております。

*余談ですが、これにはおまけとして「注釈」に、「此の料理は毎日用いるは宜しからず。一週間に一、二度を適度とす」とあります。
余り「辛いもの」を普段から取りすぎるとどうなるか。
陸軍当局は「判って」いたのでしょうか(笑)


また海軍では炊事も専門の者(烹炊員:主計科所属)が行う為、カレーの作り方を覚えた水兵はごくごく一部であったと推測されるのに対し。

陸軍ではほぼ全員が炊事を経験したこと。

また、海軍は徴兵ではなく志願制の時期もあった上に、陸軍に比べると圧倒的に経験者が少ない事。

決定的なのは、当時はライスカレーの呼称が一般的であったのですが、
陸軍のレシピにはライスカレーと記載されているのに対し、
海軍のレシピではカレーライスと記載されている事。

従って、カレー、ライスカレーの全国普及に陸軍の影響が大きかった可能性は高いが、海軍の与えた影響は極めて小さかったと思われる、と。

*本格的な「一般家庭普及化」は、戦後に煎った小麦粉を混ぜたカレー粉が食品メーカーから販売され、
家庭でも容易にカレーライスを食べることができるようになった事が更に普及に拍車を掛けたのではないでしょうか。
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