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夢の農場

投稿者: dylake2r5j1 投稿日時: 2005/12/04 22:46 投稿番号: [31224 / 43168]
今朝の地元新聞の記事です
こういう話、あって当然なんですよね・・・台湾他、日本の進出した地ではいろんな話があるのに
朝鮮に「だけ」なくて、搾取をしていたなんてあり得ない。
ここにも書いてある通り「荒れ地で痩せた土地」から、いったいなにを搾取しろと?



『大正の朝鮮北部「夢の農場」あった』

蘭田に農場が開かれたのは一九二〇(大正九)年。38度線から役百キロ北の山間部、現在の北朝鮮・洗浦郡で、約四十平方キロメートルという広大な荒れ地と森林を開拓した。
農場開発のきっかけは、第一次世界大戦の捕虜として名古屋市内の収容所にいたドイツ人。開放されると多くは帰国したが、日本に永住して大規模農業を手掛けたいと希望する人々がいた。
ちょうど食糧問題が深刻で、愛知県内の地主らはドイツ人6人と日本の植民地支配下にあった朝鮮進出を計画。「愛知産業株式会社」を設立した。当初から参加し、現地の責任者となったのが野村さんだった。
蘭谷は土地がやせていた上、寒冷地でありながら夏の台風被害も多く、自然条件も厳しかった。しかし、ドイツ人が母国から買い付けた発電用の大型風車や井戸掘り機、芋掘り機など最新の機械を導入し、地元の朝鮮人とも力を合わせ、東洋では珍しい大規模機械農場を築いた。
作物の品種改良を行い、蘭谷イモは朝鮮全土に広がり、日本国内でも高い評価を得たという。
牛や豚、羊などの牧畜も手広く行い、腸詰め、ハムなど加工品を生産。日本から視察が相次いだ。
基盤が出来上がるとドイツ人は母国へ帰った。野村さんは骨を埋める覚悟で家族を呼び寄せたが、終戦で帰国を余儀なくされ、翌年亡くなった。
戦後殆ど顧みられなかったが、野村さんが朝鮮にいる間、苦労話や農場の人々の日常生活の様子を愛知県農会の会報に志雲生のペンネームで計百回寄稿した文章が、岡崎市の農協の書庫などに眠っていた。山本さんは2年前から収集し、同時に当時を知る人々の話や現地の地図、写真などの資料を集めて出版にこぎ着けた。
(中略)
山本さんは「当時の朝鮮とこんな交流もあったことを知ってもらいたい、今後の研究に役立ててもらえれば」と話している。
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