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切腹した韓国陸軍大佐

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/05/25 22:44 投稿番号: [25910 / 43168]
これは涙ものです。

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安秉峻という日本の陸軍兵学校(二十六期)を出た人がいます。陸士出身者の会である「偕行社」で調べて貰ったところによれば、名前を安鐘寅から安秉峻(へいはん)と変えてています。朝鮮動乱勃発の時は、韓国陸軍大佐でした。

  戦車軍団を押したてた北朝鮮の侵攻の前に、韓国軍は浮足立ってしまいました。彼は叱咤し続けました。

  「前線で韓国の将兵は戦っている。一戦も交えずに撤退すれば、韓国軍の汚名を残すだけである」
  「日本軍は死守の命令が出れば、命令を守って玉砕したではないか」
  「ソウルを死守して玉砕すれば、将来韓国は必ず廷る」

  しかし、彼の叫びに耳を傾ける者はなく、韓国軍は先を競つて後退しました。韓国軍の主力は既に大邱の近くにまで退いています。

  七月七日に国連の安保理で韓国支援のため十六ヶ国が参戦すると決めましたが、問題は韓国軍自身がいかに戦うかです。安秉峻は、楠木正成が千早城の孤塁を死守したことが建武中興に繋がった故事を思ったのか、あるいは豊臣秀吉軍の朝鮮侵攻に対して各地の農民や僧兵がたちあがったことを想起したのか、部下と共に昌徳宮の裏にある洗剣堂に踏み止まりました。しかし部下を次々と失います。もはやこれまでと、七月二十九日、ソウル死守の悲願を、日本武士のように「切腹」をもって訴えたのです。時に六十一歳。死後准将となりました。(彼は長く李王垠殿下の御附武官を勤めていた。死後、彼の切腹地に顕彰碑を建てる話があったが、場所が大統領府の近くなので問題となり、その後の状況不明。子息安光鉄氏も日本の陸士五十八期で昭和五十年に逝去した。)

  そのほか朝鮮動乱には感動の秘話がいくつも生れました。木にブラ下っていて、上から敵の戦車に飛び乗つて、手榴弾もろとも爆死した「特攻隊」や、敵のトーチカの中に爆薬を抱いて飛び込んだ肉弾十勇士の話など聞きました。

  これらの人々の壮烈な戦死によって韓国は守られ、国連軍も韓国防衛に起ちあがり、日本も安泰であり得たのでした。「朝鮮動乱には国連軍十六か国の青年たちが参加し、血を流して自由陣営を守つているのに、日本の青年たちは何をしていたか。映画を見て、パチンコをして、ストリップに興じていたではないか。そして特需で肥え太ったのではないか」と言つたのは、当時の李承晩大統領であり、また韓国人大多数の気持を代弁した言葉でもありました。

  私たちはそのようなことを連想しながら、黙祷を捧げたのでした。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/nagoshi/nikkann_642.htm
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