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李 舜臣解説

投稿者: go_ryuzaki2 投稿日時: 2005/01/13 12:27 投稿番号: [16348 / 43168]
李 舜臣(イ・スンシン、1545年4月18日 - 1598年12月16日)は、文禄・慶長の役時の李氏朝鮮の将軍。字は汝諧。朝鮮水軍を率いて日本軍との戦いに活躍し、韓国では国民的英雄となっている。

京畿道開豊郡の徳水李氏の出身で、現北朝鮮領の開城に生まれた。1576年、武科(武官の登用試験)に及第し、1591年に全羅道左水軍節度使に抜擢される。

豊臣秀吉が朝鮮出兵を開始すると、水軍指揮官の一人として主に停泊中の艦を焼き払うゲリラ攻撃で功績を立て、後に水軍の全権を掌握した。 しかし、日本軍への攻撃命令を無視して動かなかったため解任され、1597年に彼の後任の水軍統制使元均が巨済島海戦で大敗を喫し 戦死すると、水軍統制使に返り咲いた。

しかし慶長の役では小西行長に偽装工作を看破され面目を潰し、更には秀吉の死で撤退する日本軍に周囲の制止を振り切って無謀な追撃戦を行った挙句 露梁海戦で大敗、敗死する。のちに、忠武と謚(おくりな)された。

開戦当初はゲリラ戦でかなりの功績を示したものの、日本軍が陸海連携して反撃に転じると殆ど戦果をあげることができず朝鮮水軍の限界を露呈した。 さらに、亀甲船に至っては実在を示す証拠が全く存在しない。

韓国ソウルの官庁街である世宗路には、李舜臣の銅像が建てられている。これは軍事政権下の力の象徴として設置されたと言われる。しかし、世宗路の拡張工事のために撤去される予定である。
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