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ノルマンの簡単な追加

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2003/07/17 23:03 投稿番号: [1423 / 43168]
>それと、もうひとつの疑問は、集団としてみた場合、バリ人とジャワ人は外見的に
かなり明白に区別できるというこ
>とです。ということは、ジャワ人はやってはきたが、バリ語をジャワ語化するほど
ではなく、またバリ人の外見的特
>徴をかえるほどではなく、ヒンドウ文化を遺す程度でしかなかったということで
しょうか。

  上で長々と書いてしまいましたが、バリはジャワから長い間、何回にも渡る強い影
響(時には軍事支配)を受けましたが、ジャワからの移民自体は、全バリ島民と較べ
れば圧倒的に少数と考えられます。しかし、政治家や軍人、僧侶や学者が多かったた
め、バリ社会に与えた影響は甚大でした。だからしばらくは政治的優位さを維持し、
支配者の地位を確保していられたのでしょう。ですが、侵入者による征服王朝は、本
国の支援がなくなれば、50〜100年程度で現地化し、弱化して消滅するのが普通で
す。ゲルゲル王国も結局8王国に分裂しました。
  このような例は世界史にはいくらもあります。例えば、アーサー王伝説の舞台とも
なったアングロ・サクソン7王国(ヘプターキー)が、1066年にノルマン人(ノルマ
ンディ公ギヨーム率いる軍勢)に征服された「ノルマン・コンクェスト」という事件
では、その後公用語は「ノルマン・フレンチ」と呼ばれるフランス語になりました
が、支配層は圧倒的に少数で、やがて子孫たちは英語を喋るようになり、フレンチ・
ノルマンの風習もほとんど残っていません。
  もう一つの例は、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)がオスマン・トルコの攻撃で滅ぼ
された事件です。現在のギリシアに位置したビザンツからは、大量のギリシア系知識
人がイタリア方面に避難してきました。彼らの古典文化(古代ギリシア文化)に関す
る知識はイタリアに移植され、ルネサンス文化を開花させたことは知られています。
同様なことが、バリにも起こったと考えられます。しかし、イタリア・ルネサンスが
古代ギリシア文明そのものの復興ではなかったように、マジャパヒト遺民を受け入れ
たバリ人たちも、ジャワ・ヒンドゥーではなく、飽くまで彼ら自身のバリ・ヒン
ドゥー文化を発展させました。
  バリ人というのは伝統を重んじる一方で、新文化に対し大変柔軟性に富むようで
す。ケチャも1930年代後半に編み出された新芸能ですし、ガムランでも、現在主流に
なっているスタイルの多くは20世紀に生み出されたもののようです。
  そのため、マジャパヒト・ジャワの影響を被りながらも完全に同化されることはな
く、むしろ支配者たちをバリ化していった、と言えるのではないでしょうか。

  結論を言えば、ジャワの難民たちは、バリ人の形質を変えるほど物理的に大量に
入ってきたわけではありません。しかし、文化的には大きな影響を与え、バリ人たち
は今でも自分たちを「マジャパヒトの末裔」と誇りを持って呼びます。しかしそれは
歴史的事実と言うよりは、ジャワが完全にイスラム化されたのに対し、自分たちは
5〜6世紀以来のヒンドゥー信仰を変えたことがない、という自慢というか、大国
ジャワに対する対抗意識の表れのような気がしないでもありません。
  歴史上常にジャワの風下に立たざるを得なかったバリ人にとって、現在のヒン
ドゥーは、彼らのアイデンティティーの大きな拠り所になっているように思います。
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