女性のための日韓議論場

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

割り込みゴメン!(儒教→朱子学)

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2003/06/18 18:00 投稿番号: [125 / 43168]
また禁を破って割り込みます。ご容赦を。

ここで、「儒教」というキーワードが出てきていますが、朝鮮半島の場合、特にその中でも「朱子学」なのだ、という事を認識しておく必要があると思います。

朱子学は、中国南宋時代に確立された学問でした。
南宋と言えば、華北を女真族(漢族からすれば「蛮族」)の金朝によって奪われ、江南地域に逃げた亡命政権です。南遷後に、宋朝は金朝に対して、下風に立たなければならない条約を結ばされました。
そこで、南宋の漢族は、「中華民族」としてのプライド(つまり「見栄」)を護るために、何らかのゴリゴリの思想を必要とした訳ですね。
それが、「儒教原理主義」とも言えるかも知れない朱子学です。
朱子学のもとでは、とにかく目の前の現実(女真族や蒙古族に屈従している)ではなく、頭の中の観念(どうあろうと、彼等は蛮族、自分らは中華)が「ゼッタイ」な訳ですね。
で、例えば宋朝を苦しめた女真族が実際に蛮族と言えるかどうかと言えば、華北地帯に侵入してからは本来の素朴な風を失い、どっぷりと漢文化に浸ってしまい、独自性が薄らいでしまったぐらいです。

で、anti_hijackerさんがおっしゃっている通り、朝鮮で日本を「弟視」するのはそれほど古い話ではなく、そういう視点が確立されたのは朝鮮朝時代(李朝)です。
その前の高麗朝でも、そういう萌芽は有りましたが、李朝時代ほどではありませんでした。(高麗時代には、すでに新羅での女王即位や同姓婚を野蛮な風として蔑視していたようです。日本の『日本書紀』『古事記』では、先祖の習慣を貶める記述はありません。)
かくして朝鮮では、女直(女真=満州)族である清朝に屈服していらい、「中国は最早蛮族の国家となった。こうなったら正統な中華は我々だけなんだ」という、「観念」にさらなる「磨き」がかかった訳です。

だから、本来儒教とは、我々が漢文の授業で習った通り、生きる上での規範などを説いたものですが、李氏朝鮮では、上述のような「儒教原理主義」が濃厚になってしまった。
片や日本では、もっとプラグマティックに、自分達に合うようにデフォルメした儒教を使い、武士は武士で、商人は商人で、使いこなすようになった訳です。(これは、漫画家の高信太郎の受け売りです。)
まあ言うなれば、コチコチの点取りムシの学生クンが、議論の場で「○○大学の××先生の説では〜」「現在では△△というのが定説です!」を絶対的なドグマとして融通が利かずに自己中毒になるか、または様々な説を清濁飲み合わせて、自分なりの独自の視点を養い、臨機応変に生きていくか、の違いかなと、私なりには推測していますが、さてどんなものでしょう。(ちょっと大別し過ぎたかな。)

かつての三国時代、百済が新羅と高句麗に対抗するための一種の取り引きとして、いわゆる「文字」だの「仏教」だのを倭国に贈りますが、倭国が提供したのは「軍事援助=血」ですから百済側の債務超過となり、ほぼ歴代の王子を倭国に人質として送る羽目になった訳です。(「百済が倭国との条約破棄!」の嫌疑が挙がった時、百済では王を殺して日本に潔白を証明したという記述が、『日本書紀』にはあります。)
当時から半島側が「兄」であったら、5世紀に雄略天皇が半島南部における軍事統括権を示す称号を中国南朝から得られはしません。
そういう情勢ですから、『隋書倭国伝』でも、「新羅・百済は、倭国の事を珍物の多い大国であるとして敬仰し、使者をを往来させている」という記述があります。
朝鮮の最初の公式史書である『三国史記』でも、三国それぞれの戦闘記録が中心であり、のどかな「文化交流」的な記述はありません。ましてや、「日本に文字や仏教を伝授云々」とは、一切書かれていない。これを要するに、「現実は優雅なおとぎばなしではなく、国交は今も昔も利害で結ぶもの」と言えましょうか…。

以上、長くなりましたが、参考までに。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)