札幌テレビ 強制労働の実態を証言
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2010/10/22 09:07 投稿番号: [7229 / 7270]
2010/10/21
札幌テレビ 強制労働の実態を証言(北海道)
戦時中、幌加内町のダム建設のために過酷な労働を強いられた韓国人の男性が65年ぶりに現地を訪れ、当時の過酷な実態を証言しました。
幌加内町朱鞠内の雨竜ダム。韓国人の李詳石(イ・サンソク)さん89歳は戦時中このダム工事で強制労働を強いられました。李さんは当時の強制労働の実態を考える市民団体の集会に招かれ65年ぶり朱鞠内を訪れました。
李さんは1940年、18歳の時、水力発電などを目的として建設が進められていた雨竜ダムの工事に連れてこられました。工事現場では、7000人近くが働かされそのうちおよそ3000人が朝鮮人だったとされています。
作業現場や、生活の場は劣悪な環境で毎日午前4時にかり出される工事現場では生死の危険を伴う仕事をさせられました。
(李詳石さん)「堀る作業の際に人がたくさん死んだ。(Q.体のどこまで浸かっていたのか?)太ももまで」「(Q.水に浸かったまま掘る作業をしたのか?)そう。死ぬまでやれと言われた」
李さんは「帰国したら働いた分の給料を払う」と言われていましたが、1944年に祖国へ戻っても一円も支払われなかったといいます。
(李さん)「一か月間(故郷に)帰って戻ったら給料をやると言われた。だけど賃金は支払われなかった」
李さんを招いた空知民衆史講座の殿平善彦代表は、活動を通して新しい日韓関係を築きたいと話しています。
(空知民衆史講座・殿平善彦代表)「過去の傷跡を克服していく努力を続けるということに私たちは努力を続けたい」
戦時中の悲惨な体験を詳細に語った李さん。札幌で大学生なども参加する懇談会に出席するなどした後、23日に帰国するということです。
www.news24.jp/nnn/news8812073.html 引用ここまで
まあ北海道は北教組やら北海道新聞を初めとするエセ進歩派が多いですからね。
”工事現場では生死の危険を伴う仕事をさせられました”・・・こんな言葉は学生時代からさまざまな工事現場で働いた経験を持つ私には通用しませんよ。
坊ちゃん嬢ちゃんの多いマスコミでは理解は出来ないんでしょうが・・・・
私が住む魚沼市は山間地ですから発電用のダムが幾つもあります。有名なのは奥只見ダムでしょうが、ここの周辺整備なんかで私も働いたことがあります。
確か昭和46年頃だったかな。ダム本体は10年も前に完成していたんですが、工事用道路を観光道路に整備する工事なんかがありましてね。
ここを舞台にした小説では三島由紀夫の「沈める滝」、曾野綾子の「無名碑」、真保裕一の「ホワイトアウト」なんかがあります。「ホワイトアウト」は割り合い最近に映画化されまして、ウチの近所でもロケがありました。
知り合いの役場職員もエキストラになったとか。
それはどうでもいいんですが、戦後に、つまり強制連行(笑)なしに行われた工事でも犠牲者は100人単位で出ています。「黒部の太陽」でお馴染みの黒部第四ダムなんかでも同じですね。
日本の工事現場が犠牲者を出さないように配慮するようになったのは割り合い最近のことなんですよ。
それで何ですか、李さんは1940年、18歳の時、水力発電などを目的として建設が進められていた雨竜ダムの工事に連れてこられました、だ・か・ら朝鮮半島での徴用は1944年9月から始まったと何度言えば・・・・それ以前は官民の斡旋、つまりハローワークじゃ!要するに出稼ぎの世話をしただけじゃ!
坊ちゃん嬢ちゃんには困ったもので・・・・上には当然ながら確信犯がいるんでしょうけどね。
しかも李さんは、1944年に祖国へ戻っても一円も支払われなかったといいます、ほお、強制労働者には祖国に帰る自由もあったんですね。敗戦のドサクサもなかったから確実に賃金は支払われていただろうし、多分厚生年金にも入っていて脱退金99円も(笑)。
もし未払い金があれば、それは韓国政府の責任ですし。
前にも書きましたがウチのような田舎でも高齢の朝鮮・韓国人夫と日本人妻の国際結婚が多いんですが、結婚適齢期の日本人男性が戦場に送られていた頃に徴兵の心配もなく高賃金で働いていられた朝鮮人男性が結婚の対象になった名残なんですよ。
私にもそういう知り合いがいますし。
”過去の傷跡を克服していく努力を続けるということに私たちは努力を続けたい”・・・日韓基本条約で解決済みです。見えない敵と闘うのが好きですねえ。
それなら李承晩によって殺された日本漁民のことも考えてみたら?
ああ尖閣も(笑)。
いえ、無理ということは分かっていますが。
戦時中、幌加内町のダム建設のために過酷な労働を強いられた韓国人の男性が65年ぶりに現地を訪れ、当時の過酷な実態を証言しました。
幌加内町朱鞠内の雨竜ダム。韓国人の李詳石(イ・サンソク)さん89歳は戦時中このダム工事で強制労働を強いられました。李さんは当時の強制労働の実態を考える市民団体の集会に招かれ65年ぶり朱鞠内を訪れました。
李さんは1940年、18歳の時、水力発電などを目的として建設が進められていた雨竜ダムの工事に連れてこられました。工事現場では、7000人近くが働かされそのうちおよそ3000人が朝鮮人だったとされています。
作業現場や、生活の場は劣悪な環境で毎日午前4時にかり出される工事現場では生死の危険を伴う仕事をさせられました。
(李詳石さん)「堀る作業の際に人がたくさん死んだ。(Q.体のどこまで浸かっていたのか?)太ももまで」「(Q.水に浸かったまま掘る作業をしたのか?)そう。死ぬまでやれと言われた」
李さんは「帰国したら働いた分の給料を払う」と言われていましたが、1944年に祖国へ戻っても一円も支払われなかったといいます。
(李さん)「一か月間(故郷に)帰って戻ったら給料をやると言われた。だけど賃金は支払われなかった」
李さんを招いた空知民衆史講座の殿平善彦代表は、活動を通して新しい日韓関係を築きたいと話しています。
(空知民衆史講座・殿平善彦代表)「過去の傷跡を克服していく努力を続けるということに私たちは努力を続けたい」
戦時中の悲惨な体験を詳細に語った李さん。札幌で大学生なども参加する懇談会に出席するなどした後、23日に帰国するということです。
www.news24.jp/nnn/news8812073.html 引用ここまで
まあ北海道は北教組やら北海道新聞を初めとするエセ進歩派が多いですからね。
”工事現場では生死の危険を伴う仕事をさせられました”・・・こんな言葉は学生時代からさまざまな工事現場で働いた経験を持つ私には通用しませんよ。
坊ちゃん嬢ちゃんの多いマスコミでは理解は出来ないんでしょうが・・・・
私が住む魚沼市は山間地ですから発電用のダムが幾つもあります。有名なのは奥只見ダムでしょうが、ここの周辺整備なんかで私も働いたことがあります。
確か昭和46年頃だったかな。ダム本体は10年も前に完成していたんですが、工事用道路を観光道路に整備する工事なんかがありましてね。
ここを舞台にした小説では三島由紀夫の「沈める滝」、曾野綾子の「無名碑」、真保裕一の「ホワイトアウト」なんかがあります。「ホワイトアウト」は割り合い最近に映画化されまして、ウチの近所でもロケがありました。
知り合いの役場職員もエキストラになったとか。
それはどうでもいいんですが、戦後に、つまり強制連行(笑)なしに行われた工事でも犠牲者は100人単位で出ています。「黒部の太陽」でお馴染みの黒部第四ダムなんかでも同じですね。
日本の工事現場が犠牲者を出さないように配慮するようになったのは割り合い最近のことなんですよ。
それで何ですか、李さんは1940年、18歳の時、水力発電などを目的として建設が進められていた雨竜ダムの工事に連れてこられました、だ・か・ら朝鮮半島での徴用は1944年9月から始まったと何度言えば・・・・それ以前は官民の斡旋、つまりハローワークじゃ!要するに出稼ぎの世話をしただけじゃ!
坊ちゃん嬢ちゃんには困ったもので・・・・上には当然ながら確信犯がいるんでしょうけどね。
しかも李さんは、1944年に祖国へ戻っても一円も支払われなかったといいます、ほお、強制労働者には祖国に帰る自由もあったんですね。敗戦のドサクサもなかったから確実に賃金は支払われていただろうし、多分厚生年金にも入っていて脱退金99円も(笑)。
もし未払い金があれば、それは韓国政府の責任ですし。
前にも書きましたがウチのような田舎でも高齢の朝鮮・韓国人夫と日本人妻の国際結婚が多いんですが、結婚適齢期の日本人男性が戦場に送られていた頃に徴兵の心配もなく高賃金で働いていられた朝鮮人男性が結婚の対象になった名残なんですよ。
私にもそういう知り合いがいますし。
”過去の傷跡を克服していく努力を続けるということに私たちは努力を続けたい”・・・日韓基本条約で解決済みです。見えない敵と闘うのが好きですねえ。
それなら李承晩によって殺された日本漁民のことも考えてみたら?
ああ尖閣も(笑)。
いえ、無理ということは分かっていますが。
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