Re: 朝鮮通信使401周年記念行事ニダ!
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2008/04/14 20:24 投稿番号: [6418 / 7270]
朝鮮通信使が最後に江戸まで来たのは1764年。
一番最後の通信使(1811年)は対馬止まり。
大政奉還は1867年だから、264年続いた江戸時代の歴史の中で、最後の100年間は、通信使は本土に一度も足を踏み入れていないことになりますね。
■通信使の大量の荷物の大半は貢物、それを有力者に配ってまわる。
■通信使は江戸までやってくるが日本は朝鮮にいかない(格下が相手国に出向く)
■天皇にはあってはいない。
■12回もきて将軍に三礼四拝という臣下の礼までする。
■朝鮮からの貢ぎ物は「虎の皮」「朝鮮人参」(原始的)日本からの贈り物は「蒔絵の飾り箱」、「絹織物」、「染め物」、「水車の設計図面」の先端工業製品
■朝鮮通信使、金仁謙(Kim In Kyeom)の著書『日東壮遊歌』にみられるように日本の方が圧倒的先進国。
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&page=2&nid=1705652
■庶民は通信使の行列に土下座どころか、腕組み、指差しをして笑いながら見ていた
http://f.hatena.ne.jp/images/fotolife/l/lunakko/20070422/20070422003035.jpg
■江戸時代の朝鮮人に対するイメージ
朝鮮通信使仮装行列の「賄い唐人」
左手に鶏(作り物)を持ち、右手で引きちぎった羽を口に入れようとしている。腹が減ると生肉を意地汚く食べ散らかす野蛮人。
江戸時代の日本人が持っていた「朝鮮人のイメージ」である。
・「土浦御祭礼之図」 土浦市立博物館蔵
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=teconomy&nid=2830427
■通信使の悪行
朝鮮通信使は日本に関し、事実であると否とを問わずさまざまな事柄を見下す傾向が強く、
日本国内の道中や文化交流の際にも周囲や日本の文人に対して著しく無礼な態度をとることが多かったようである。
警護に当たる対馬藩士が侮辱を受けることもしばしばあり、宝暦度(1764年(宝暦14年))には大阪の客館で、
対馬藩の通詞・鈴木伝蔵が杖で打ち据えられ通信使一行の都訓導・崔天崇を刺殺するという事件が起こっている。
その他、供された食事に難癖をつける、夜具や食器を盗む、日本人下女を孕ませるといった通信使一行の行状も記録に残っている。
このような事情から、通信使一行の行列見物は庶民にとって大きな娯楽であった反面、
多くの賦役を課される沿道の町人や農民には嫌われ、鶏を盗むなどして喧嘩沙汰[2]になることも多々あったようであるが、
横柄な態度の割に非常に 弱く簡単に叩きのめされたという。
喧嘩が発生すると侍は本来警護の者として制止すべき立場であるにもかかわらず止めるふりすらしなかったといい、道中の内実がいかなるもので あったかが伺える。
ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%9A%E4%BF%A1%E4%BD%BF
[参考] 鶏を盗んで、町人と 喧嘩をする 朝鮮通信使 「朝鮮人来聘記」 京都大学 所蔵
http://photoimg.enjoyjapan.naver.com/view/enjoybbs/viewphoto/thistory/1777000/20061024116167740943042600.jpg
■地方にわずかに唐人踊りが伝承されている程度(文化的影響はほとんどなし)
↑何で朝鮮人なのに唐人踊りなんでしょうねぇ?
一番最後の通信使(1811年)は対馬止まり。
大政奉還は1867年だから、264年続いた江戸時代の歴史の中で、最後の100年間は、通信使は本土に一度も足を踏み入れていないことになりますね。
■通信使の大量の荷物の大半は貢物、それを有力者に配ってまわる。
■通信使は江戸までやってくるが日本は朝鮮にいかない(格下が相手国に出向く)
■天皇にはあってはいない。
■12回もきて将軍に三礼四拝という臣下の礼までする。
■朝鮮からの貢ぎ物は「虎の皮」「朝鮮人参」(原始的)日本からの贈り物は「蒔絵の飾り箱」、「絹織物」、「染め物」、「水車の設計図面」の先端工業製品
■朝鮮通信使、金仁謙(Kim In Kyeom)の著書『日東壮遊歌』にみられるように日本の方が圧倒的先進国。
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&page=2&nid=1705652
■庶民は通信使の行列に土下座どころか、腕組み、指差しをして笑いながら見ていた
http://f.hatena.ne.jp/images/fotolife/l/lunakko/20070422/20070422003035.jpg
■江戸時代の朝鮮人に対するイメージ
朝鮮通信使仮装行列の「賄い唐人」
左手に鶏(作り物)を持ち、右手で引きちぎった羽を口に入れようとしている。腹が減ると生肉を意地汚く食べ散らかす野蛮人。
江戸時代の日本人が持っていた「朝鮮人のイメージ」である。
・「土浦御祭礼之図」 土浦市立博物館蔵
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=teconomy&nid=2830427
■通信使の悪行
朝鮮通信使は日本に関し、事実であると否とを問わずさまざまな事柄を見下す傾向が強く、
日本国内の道中や文化交流の際にも周囲や日本の文人に対して著しく無礼な態度をとることが多かったようである。
警護に当たる対馬藩士が侮辱を受けることもしばしばあり、宝暦度(1764年(宝暦14年))には大阪の客館で、
対馬藩の通詞・鈴木伝蔵が杖で打ち据えられ通信使一行の都訓導・崔天崇を刺殺するという事件が起こっている。
その他、供された食事に難癖をつける、夜具や食器を盗む、日本人下女を孕ませるといった通信使一行の行状も記録に残っている。
このような事情から、通信使一行の行列見物は庶民にとって大きな娯楽であった反面、
多くの賦役を課される沿道の町人や農民には嫌われ、鶏を盗むなどして喧嘩沙汰[2]になることも多々あったようであるが、
横柄な態度の割に非常に 弱く簡単に叩きのめされたという。
喧嘩が発生すると侍は本来警護の者として制止すべき立場であるにもかかわらず止めるふりすらしなかったといい、道中の内実がいかなるもので あったかが伺える。
ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%9A%E4%BF%A1%E4%BD%BF
[参考] 鶏を盗んで、町人と 喧嘩をする 朝鮮通信使 「朝鮮人来聘記」 京都大学 所蔵
http://photoimg.enjoyjapan.naver.com/view/enjoybbs/viewphoto/thistory/1777000/20061024116167740943042600.jpg
■地方にわずかに唐人踊りが伝承されている程度(文化的影響はほとんどなし)
↑何で朝鮮人なのに唐人踊りなんでしょうねぇ?
これは メッセージ 6411 (samurai_06_japan さん)への返信です.
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