>モンゴルの頸木
投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2007/12/20 21:05 投稿番号: [6227 / 7270]
>>〜他のヨーロッパ国家よりロシアは文化的におくれ、市民革命や産業革命からも疎外されるしかなかった。
>ここの部分って本当にそうなの?
私も詳しいわけではありませんが・・・・
近代化に遅れをとったのは「タタール(モンゴル)の頚木」のためと帝政ロシアかソビエト時代にプロパガンダが行われたとかいないとか・・・
(まあ、こっちのほうも開放政策後のモンゴル側でのプロパガンダかもしれませんが・・・^^)
↓このページの「モンゴル人の統治」に面白いことが載ってたです。
http://www.educ.cc.keio.ac.jp/~te04811/page1-1.htm
「タタールのくびき(1)モンゴル帝国の成立」
http://www.educ.cc.keio.ac.jp/~te04811/page1-1-2-1.htm
____________________________________________
〜略〜 さて、こうして「タタールのくびき」時代が幕を開けました。しかし、正直に言わせてもらえばこの時代は「タタールのくびき」というより「タタールによる安定」といったほうが適切な時代であると僕は考えます。確かにハーンの決定に逆らって殺害されたミハイルなどの公もおり、徹底的な破壊をまぬかれなかったトヴェーリなどの都市もありますが、僕の調べた限りでは、巷で言われているほど件数は多くはありません、というか少ないです。しかも後に述べることとなるトヴェーリ公国の破壊は、私の見るところ、最初からヤルルイクに素直に従っておけば何の問題もなく解決していた事件です。むしろこの事件のキプチャク汗国の役割は、モスクワ公国とトヴェーリ公国の喧嘩の尻拭いです。
モンゴルは、侵攻当初は徹底的な破壊を行いますが、いったん支配下に入ればもう味方と考えて反乱等のいかんともしがたい場合を除き弾圧政策だの同化政策だの、そういったものはまったく採らなかった民族です。むしろ、モンゴル侵入以前のルーシの歴史、ヤロスラフ賢公の死後、スヴャトポルク公の時代に開かれたリューベチの諸公会議以降(キエフ公国版ウェストファリア条約)、解体が公認されたキエフ公国の、実に2世紀近くにわたる、絶え間ない親戚同士の治める公国間の骨肉の戦乱の歴史、その間に流された血を考えると、断然モンゴル時代の方が安定して平和といえます。
見方を変えれば200年近くかけてもルーシの力ではキエフ公国を統一することができず、もたもたしているから外部勢力がルーシを統一して内訌に終止符を打ち秩序を回復した、ともいえます。モンゴル統治時代を軍事力による単なる弾圧の歴史としか考えないのは、モンゴル以前のルーシの2世紀にわたる内乱時代、相攻伐すること歴年の時代を考えない、あるいは知らないが故、といえましょう。
したがって、このモンゴル統治は、大変申し訳ない言い方を許していただければ、ロシア最初の統一王朝が、スウェーデンからやってきたリューリクによって開かれたと伝えられることがいみじくも示すごとく、ロシアは外国人、もしくは国内少数民族が統治したほうがうまくいく、という例の一つではないのでしょうか。ドイツ人の血の方が濃いツァーリが統治し続けたロマノフ王朝、少数民族出身者あるいはその影響のきわめて濃い人物の書記長・政治局員の続いたソ連時代を考えると、これはロシア史のセオリーといっても過言ではないと思います。〜後略〜
_____________________________________________
>ここの部分って本当にそうなの?
私も詳しいわけではありませんが・・・・
近代化に遅れをとったのは「タタール(モンゴル)の頚木」のためと帝政ロシアかソビエト時代にプロパガンダが行われたとかいないとか・・・
(まあ、こっちのほうも開放政策後のモンゴル側でのプロパガンダかもしれませんが・・・^^)
↓このページの「モンゴル人の統治」に面白いことが載ってたです。
http://www.educ.cc.keio.ac.jp/~te04811/page1-1.htm
「タタールのくびき(1)モンゴル帝国の成立」
http://www.educ.cc.keio.ac.jp/~te04811/page1-1-2-1.htm
____________________________________________
〜略〜 さて、こうして「タタールのくびき」時代が幕を開けました。しかし、正直に言わせてもらえばこの時代は「タタールのくびき」というより「タタールによる安定」といったほうが適切な時代であると僕は考えます。確かにハーンの決定に逆らって殺害されたミハイルなどの公もおり、徹底的な破壊をまぬかれなかったトヴェーリなどの都市もありますが、僕の調べた限りでは、巷で言われているほど件数は多くはありません、というか少ないです。しかも後に述べることとなるトヴェーリ公国の破壊は、私の見るところ、最初からヤルルイクに素直に従っておけば何の問題もなく解決していた事件です。むしろこの事件のキプチャク汗国の役割は、モスクワ公国とトヴェーリ公国の喧嘩の尻拭いです。
モンゴルは、侵攻当初は徹底的な破壊を行いますが、いったん支配下に入ればもう味方と考えて反乱等のいかんともしがたい場合を除き弾圧政策だの同化政策だの、そういったものはまったく採らなかった民族です。むしろ、モンゴル侵入以前のルーシの歴史、ヤロスラフ賢公の死後、スヴャトポルク公の時代に開かれたリューベチの諸公会議以降(キエフ公国版ウェストファリア条約)、解体が公認されたキエフ公国の、実に2世紀近くにわたる、絶え間ない親戚同士の治める公国間の骨肉の戦乱の歴史、その間に流された血を考えると、断然モンゴル時代の方が安定して平和といえます。
見方を変えれば200年近くかけてもルーシの力ではキエフ公国を統一することができず、もたもたしているから外部勢力がルーシを統一して内訌に終止符を打ち秩序を回復した、ともいえます。モンゴル統治時代を軍事力による単なる弾圧の歴史としか考えないのは、モンゴル以前のルーシの2世紀にわたる内乱時代、相攻伐すること歴年の時代を考えない、あるいは知らないが故、といえましょう。
したがって、このモンゴル統治は、大変申し訳ない言い方を許していただければ、ロシア最初の統一王朝が、スウェーデンからやってきたリューリクによって開かれたと伝えられることがいみじくも示すごとく、ロシアは外国人、もしくは国内少数民族が統治したほうがうまくいく、という例の一つではないのでしょうか。ドイツ人の血の方が濃いツァーリが統治し続けたロマノフ王朝、少数民族出身者あるいはその影響のきわめて濃い人物の書記長・政治局員の続いたソ連時代を考えると、これはロシア史のセオリーといっても過言ではないと思います。〜後略〜
_____________________________________________
これは メッセージ 6226 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/bdibf4bcta4na4bfa4aa4nffc4z5doc0bel_1/6227.html