「月のうさぎ」と「焼けない心臓」
投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2003/10/23 01:41 投稿番号: [428 / 7270]
yusuraさん、hontonokotogaさんのお二人ともしばらくお留守のご様子・・・
メンテを兼ねて、ぼそぼそぼそ・・・
人のプロフィールを見ることはほとんどないのですが、
(自分がろくに書き込んでないもので)
例のトピの御仁のは、気になって見ちまいました。
でもって、あのプロフの写真の意図を訊きたいところですが、
なんと切り出そうか思案中・・・
「月の兎」
http://www.pandaemonium.net/menu/devil/t_usagi.html
____________________________________________
月に姿が映るといわれる兎。
その伝説は『大唐西域記』にも書かれ、アジア広域に伝わっている。
日本では『今昔物語集』の第五巻第十三話に次のように書かれている。
昔天竺に猿、狐、兎がおり、この三匹は自分が前世で罪を犯したために、この世に獣として生まれたのだと思い、善行を重ねていた。
ある時、三獣の前に老人が現れ、私は老いてしまい力がないから養って欲しいと頼む。
そこで、猿は果実や野菜など、狐はお供え物になっていた飯、魚貝類などを集めてきて老人に与えるが、兎は何も見つけることができない。
兎は思案した末に、火を焚いて待っていてくれといってどこかへ行ってしまう。猿と狐が火を焚いて待っていると、兎は手ぶらで帰ってきた。
そして兎は「どうぞ私を食べてください」と言って、火の中に飛び込む。
それを見た老人は、本来の姿である帝釈天に戻り、火に飛び込んだ兎の姿を、皆に見えるようにと月の中に写した。月の面に雲がかかったように見えるのは、兎の体が焼けた時の煙だという。
帝釈天は、仏教説話に吸収された時に登場したと思われ、もとの形は仙人のような存在。帝釈天は獣たちの善心を試そうとしたのだが、その帝釈天の予想を超えた心を兎は示してみせる。
また、猿、狐、兎に川獺(かわうそ)を加えた形もある。おそらく、魚介類を集める係として狐から分化したものだろう。
仏典では、この後兎が釈迦に生まれ変わる形もある。
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>仏典では、この後兎が釈迦に生まれ変わる形もある。
「焼身供養」という表現があります。
写真のお坊さんはこれを実行したわけで、その後日談はこちらです↓
「釈広徳師の焼けなかった心臓」
http://www.portnet.ne.jp/~rack/rack2/skohtoku.html
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〜略〜師は1963年6月11日、たとえどのような政権のもとにあっても、仏の教えを守りぬくという強い意志をもって、宗教の自由と平和を求めて、最初に焼身供養をしました。そして、10名の僧侶がその後に続いて焼身供養をしております。その様子は日本でも大きく報道され、強い印象を我々に与えました。その後、仏教を弾圧しようとしたゴ・ジン・ジエム政権は倒れ、1964年になると、北爆が始まり本格的なベトナム戦争が始まりました。
焼身供養の後も焼けずに残った師の心臓は、ガソリンをかけてもう一度焼いても焼けずに残りました。政府の医者が調べたところ、心臓はルビーよりも硬くなっており、酸をかけても溶けなかったという事です。ベトナム仏教会の代表者3名がその心臓を受け取り、政府に対する抵抗の象徴とも言うべきこの心臓を、戦争の混乱で失う事の無いようにと、代表者3名の連名でスイスの銀行に預けたそうです。この心臓が仏教徒側に保管されていると、ゴ・ジン・ジエム政権にとって面倒になると言うことで、武力で心臓を取返そうという動きもあったそうです。〜後略
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お坊さんの「焼けなかった心臓」・・・南無仏、南無仏(ありがたや)
さてはて、かの御仁は月の兎のごとく嫌韓派に我が身を食糧として提供してるつもりなのかなぁ?
(でも、兎肉はそこそこの味だけど、食えない味の肉って、結構あるんですよね。
熊とか狐とかカラスにカモメ・・サバイバルの為でもなきゃ、煮ても焼いても絶対食えない!)
俗人の場合、「心臓が強い」「心臓に毛が〜」「君が代心臓」(「巌となぁーりてぇー♪」の歌詞から)
など、「焼けない心臓」なんてのも誉め言葉にはならんなぁ・・・ぼそぼそぼそ
やっぱり、訊くのはやめとこう(ロムだけで消耗してるし、)
(´・\xA6
メンテを兼ねて、ぼそぼそぼそ・・・
人のプロフィールを見ることはほとんどないのですが、
(自分がろくに書き込んでないもので)
例のトピの御仁のは、気になって見ちまいました。
でもって、あのプロフの写真の意図を訊きたいところですが、
なんと切り出そうか思案中・・・
「月の兎」
http://www.pandaemonium.net/menu/devil/t_usagi.html
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月に姿が映るといわれる兎。
その伝説は『大唐西域記』にも書かれ、アジア広域に伝わっている。
日本では『今昔物語集』の第五巻第十三話に次のように書かれている。
昔天竺に猿、狐、兎がおり、この三匹は自分が前世で罪を犯したために、この世に獣として生まれたのだと思い、善行を重ねていた。
ある時、三獣の前に老人が現れ、私は老いてしまい力がないから養って欲しいと頼む。
そこで、猿は果実や野菜など、狐はお供え物になっていた飯、魚貝類などを集めてきて老人に与えるが、兎は何も見つけることができない。
兎は思案した末に、火を焚いて待っていてくれといってどこかへ行ってしまう。猿と狐が火を焚いて待っていると、兎は手ぶらで帰ってきた。
そして兎は「どうぞ私を食べてください」と言って、火の中に飛び込む。
それを見た老人は、本来の姿である帝釈天に戻り、火に飛び込んだ兎の姿を、皆に見えるようにと月の中に写した。月の面に雲がかかったように見えるのは、兎の体が焼けた時の煙だという。
帝釈天は、仏教説話に吸収された時に登場したと思われ、もとの形は仙人のような存在。帝釈天は獣たちの善心を試そうとしたのだが、その帝釈天の予想を超えた心を兎は示してみせる。
また、猿、狐、兎に川獺(かわうそ)を加えた形もある。おそらく、魚介類を集める係として狐から分化したものだろう。
仏典では、この後兎が釈迦に生まれ変わる形もある。
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>仏典では、この後兎が釈迦に生まれ変わる形もある。
「焼身供養」という表現があります。
写真のお坊さんはこれを実行したわけで、その後日談はこちらです↓
「釈広徳師の焼けなかった心臓」
http://www.portnet.ne.jp/~rack/rack2/skohtoku.html
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〜略〜師は1963年6月11日、たとえどのような政権のもとにあっても、仏の教えを守りぬくという強い意志をもって、宗教の自由と平和を求めて、最初に焼身供養をしました。そして、10名の僧侶がその後に続いて焼身供養をしております。その様子は日本でも大きく報道され、強い印象を我々に与えました。その後、仏教を弾圧しようとしたゴ・ジン・ジエム政権は倒れ、1964年になると、北爆が始まり本格的なベトナム戦争が始まりました。
焼身供養の後も焼けずに残った師の心臓は、ガソリンをかけてもう一度焼いても焼けずに残りました。政府の医者が調べたところ、心臓はルビーよりも硬くなっており、酸をかけても溶けなかったという事です。ベトナム仏教会の代表者3名がその心臓を受け取り、政府に対する抵抗の象徴とも言うべきこの心臓を、戦争の混乱で失う事の無いようにと、代表者3名の連名でスイスの銀行に預けたそうです。この心臓が仏教徒側に保管されていると、ゴ・ジン・ジエム政権にとって面倒になると言うことで、武力で心臓を取返そうという動きもあったそうです。〜後略
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お坊さんの「焼けなかった心臓」・・・南無仏、南無仏(ありがたや)
さてはて、かの御仁は月の兎のごとく嫌韓派に我が身を食糧として提供してるつもりなのかなぁ?
(でも、兎肉はそこそこの味だけど、食えない味の肉って、結構あるんですよね。
熊とか狐とかカラスにカモメ・・サバイバルの為でもなきゃ、煮ても焼いても絶対食えない!)
俗人の場合、「心臓が強い」「心臓に毛が〜」「君が代心臓」(「巌となぁーりてぇー♪」の歌詞から)
など、「焼けない心臓」なんてのも誉め言葉にはならんなぁ・・・ぼそぼそぼそ
やっぱり、訊くのはやめとこう(ロムだけで消耗してるし、)
(´・\xA6
これは メッセージ 407 (yusura_sdhk さん)への返信です.
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