>為政者が自ら唱えるスローガン
投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2006/07/19 12:00 投稿番号: [4277 / 7270]
や理念は実体を表していない
ことも少なくない、実体がスローガンのとおりであるとは限らない
時には全く逆のこともあるということを言いたかったんですヨ
当たり前のことじゃないの。
が、ヒトラーは正直に本音を言ってるね。当時のドイツ国民もポーランド国民の救済、ロシア人の救済などは思ってもいなかったとおもうけど。
言葉はそれ自体が力を持つ、たとえウソでも(だから、外交交渉、国連等の交渉ではでは小さな語句にもこだわる)。しかし、本当の感情を現わしている場合はもっと強い力を持つ。
「当時の我々というのは、心底東洋人のための東洋を実現するために戦っていたわけですし、またそれで無ければあれだけの戦友の血を流してたたかえませんでしたよ」(マレー戦に参加した当時24歳の歩兵11連隊の将校)(問題は、将校兵隊レベルだけじゃなく、東條その他の『為政者』自身がアジア解放哲学を信じていたということ)。
>>>実体は天皇がアジアの頂点に立つ日本民族至上主義
これはアジア歴史辞典(平凡社・野原四郎執筆)の「欧米列強のアジア侵略に対抗するために、アジア諸民族は日本を盟主として団結せよ、という主張」という定義と同じ。
欧米に対抗とする点で解放思想、日本を盟主とする点で侵略性を併合させた定義。
同じく欧米列強に対抗する立場でも中野正剛あたりは、「人道的に異民族(西欧人のこと)を排し、東洋の人種を同じ水平線上に立たせよ』という立場(この中野の立場は、日韓併合での樽井藤吉の立場に近い)。
アジア主義を日本の膨張主義、侵略主義の別称とする定義も可能。
また、日本のアジア主義、孫文のアジア主義、ネルーのアジア主義、何ぞという具合に並列別個に扱う立場もある。
(辞典の数だけ定義がある)
>たとえば北朝鮮の為政者が自ら唱える主体思想や国家理念なんて
それだけ聞いていれば立派だけど実体はまるで逆でしょ?
だからこそ、「民族性」があるということ。日本とシナ、朝鮮は違うということ。
政治文化は政治であるから、世界共通要素で記述できるという狭い立場もあれば、政治文化も文化であるから民族性が現れるとする立場(当方もこの立場)もある。
これは メッセージ 4275 (tydkemvo さん)への返信です.
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