左翼・右翼はなんできめる
投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2003/10/09 03:32 投稿番号: [391 / 7270]
昭和初期の2.26事件のころ、青年将校運動について、上級将校(佐官クラスでしょう)から、「あのような赤の運動には加わってはいけない」などといわれた尉官クラスの将校もいたみたいで、一般的には右翼運動とみなされている運動も見方によれば左翼にされることもあるみたいで。
「生活プチブル」とは、かなり豊かな生活をおくりながら、かつその生活を捨てることを拒否しながら、「食えないものたちの思想」であるはずの左翼的思想や傾向に同調・同情・シンパシーをしめすひたたちのことです。ほぼ全員がプチブル(小市民)状態になってしまった日本ではあまり実感の無くなったことばです。
中村氏は、いわゆる左翼的な歴史観に反対してあのような運動をやっています。
「現在ではもう入手が非常に困難な本ですが、図書館ででも見つけたら、是非ご一読をお勧めします。著者の山根良人さんは、航空隊自動車隊の伍長としてビルマ戦線に派遣されますが、日本の敗戦後、武装解除されたベトナムのサイゴンを脱出、カンボジアからラオスに入ります。その後の人生はまさに波瀾万丈です。ラーオ・イッサラ(自由ラオス)の抗仏ラオス義勇軍指揮官、パテート・ラーオの大隊指揮官、一転してラオス王国軍の将校としてラオス各地で戦い、1975年の新政権誕生後33年ぶりに日本に帰国しています。
1960年代から70年代にかけて、「山根大佐」ラオス名「サワット大佐」といえばラオスでは知らぬもののないヒーローでした。」
ラオスですね。元日本兵の話は、インドネシアはもちろんヴェトナムにもあります。(ヴェトナムでの元日本兵の話は、森村誠一が、青春の源流、でフィクション化してますが、結構詳しくとりあげています)。
タイが仏教国だからということに理由をもとめると、では隣のビルマもそうなんだが、ということになります。
タイ人の外交的素質にその原因を求めるのが一番いいのではとおもいます。結構したたかです。
マレーに進撃する日本軍の国内通過を認めながら、日本の敗戦ご、あの決定は間違いだったからなかったことにする、などとしました。
これは メッセージ 389 (usagigamemaimai さん)への返信です.
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