〜朗読会 3
投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2006/04/12 01:45 投稿番号: [3837 / 7270]
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〜続き〜
当時の状況を見ると,大韓帝国皇帝の署名を図々しくも偽造することができる人間は,統監府の職員たち
(ほらいきなり状況証拠からスタートするんだ)
以外にいないということは簡単に見当がつきます.
※一同爆笑
(簡単に推測しましたの間違いやろ?)
しかし証拠を掴めず
※一同大爆笑
そのように断定することができないので,その方法を見つけるのに苦心しました.ところで,5・6種類の偽造署名筆体のなかで,12月13日付で行われた22個の署名の筆体が,(私が見た)最初から非常に見慣れたものでありました.それで,最近の言葉でいう標的捜査をすることになりました.
日本人として韓国学第1世代に属する人物として,前間恭作がいます.
※前間恭作 まえまきょうさく(1868-1941)
http://www.toyo-bunko.or.jp/library/Whoswho/maema.html
この方は1911年に総督府官職を退いたのち,1894年より領事館書記生として勤務をしながらソウルで収集した古文献を持って東京へ戻り,韓国古語と歴史に関する論文をたくさん書きました.この方が残した論文や本のなかに,自筆原稿をそのまま複写したものがあります.韓国古語を研究した論文がそれでした.例を挙げると,訓民正音で刊行された仏経諺解の書籍を研究する際,
(それ、文化統監府が独自でやってた朝鮮文化保護委員会かなんかの活動の事じゃないかな)
訓民正音形態の昔の文字を活字から探して使用するのが難しかったため初めから自筆で書き,その原稿を青写真として本や論文として残したのです.私がそれらを見たことがあったので,上の22個の事例について最初から見慣れた気がしていたようです.
※感嘆
(おー)
また彼を標的捜査(?)の対象として見なしたのは,彼が1905年第2次日韓協約,すなわち乙巳(ウルサ)条約というものが強制されたとき,
※苦笑
現場でこれに深く関係した事実があったからです.彼は駐韓日本公使館に勤務しながら林公使の韓国語通訳官の役割をしていて,1905年の協約のときは伊藤博文特派大使の通訳官になりました.対馬出身で,幼い頃から韓国語を学び,韓国語にとても精通していたようです.長崎の英語学校を経て慶應大学を出た人材でした.彼は1905年,協約を強制するときに伊藤特使の指示に従い,憲兵たちを連れて韓国外部に行き,外部大臣の職印を持ってくる役割も遂行しました.
(外部ってどこだよと思うんですが)
(伊藤博文がハルピンに行くときとか)
(それについては書いてないんですよねえ)
(その前は分かった。要するに過去のハングル文献を漢字に直す時にの活字が無い漢字を手書きで添えて写真資料にして送った。イテジンはそれを見てたので「あ、こいつがこいつだ」と。そっからスタートしてるんや。それで筆跡鑑定をやろうかと)
(「あ、この文字見た事ある〜」と)
(めっちゃ主観やなぁ)
※一同苦笑
(すごい主観ですよねぇ)
(とりあえずさこう、通訳が偽造したって言ってるんだよね)
(だからもう、この人って断定してるの?)
(いや要するに朝鮮語にも堪能で、そういう文化事業をやってたからそういう、手書きの文字がたくさん残ってるのがこの人だったというだけかもしれへんのやろ。一応この人の経歴の事よく調べたんやろ?)
(「経歴はこうです〜」と)
(接点あるに違いないと踏んだ訳や)
ある日本人韓国学者から彼の遺稿が日本の九州大学朝鮮学室に寄贈・保管されているということを教えてもらい,そこへ訪ねて行ってみました.二日ほど彼の遺稿と遺品を調査して,『感恩記』という自叙伝に接しました.この冊子はやはり自筆原稿の謄写本でした.この本の文字が問題の署名の文字ともっともよく似ていて,文字の大きさも似通っていました.
(来たか)
(来たか)
(イテジンが発見!発見!)
(イテジンワクワク!)
〜続く〜
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〜続き〜
当時の状況を見ると,大韓帝国皇帝の署名を図々しくも偽造することができる人間は,統監府の職員たち
(ほらいきなり状況証拠からスタートするんだ)
以外にいないということは簡単に見当がつきます.
※一同爆笑
(簡単に推測しましたの間違いやろ?)
しかし証拠を掴めず
※一同大爆笑
そのように断定することができないので,その方法を見つけるのに苦心しました.ところで,5・6種類の偽造署名筆体のなかで,12月13日付で行われた22個の署名の筆体が,(私が見た)最初から非常に見慣れたものでありました.それで,最近の言葉でいう標的捜査をすることになりました.
日本人として韓国学第1世代に属する人物として,前間恭作がいます.
※前間恭作 まえまきょうさく(1868-1941)
http://www.toyo-bunko.or.jp/library/Whoswho/maema.html
この方は1911年に総督府官職を退いたのち,1894年より領事館書記生として勤務をしながらソウルで収集した古文献を持って東京へ戻り,韓国古語と歴史に関する論文をたくさん書きました.この方が残した論文や本のなかに,自筆原稿をそのまま複写したものがあります.韓国古語を研究した論文がそれでした.例を挙げると,訓民正音で刊行された仏経諺解の書籍を研究する際,
(それ、文化統監府が独自でやってた朝鮮文化保護委員会かなんかの活動の事じゃないかな)
訓民正音形態の昔の文字を活字から探して使用するのが難しかったため初めから自筆で書き,その原稿を青写真として本や論文として残したのです.私がそれらを見たことがあったので,上の22個の事例について最初から見慣れた気がしていたようです.
※感嘆
(おー)
また彼を標的捜査(?)の対象として見なしたのは,彼が1905年第2次日韓協約,すなわち乙巳(ウルサ)条約というものが強制されたとき,
※苦笑
現場でこれに深く関係した事実があったからです.彼は駐韓日本公使館に勤務しながら林公使の韓国語通訳官の役割をしていて,1905年の協約のときは伊藤博文特派大使の通訳官になりました.対馬出身で,幼い頃から韓国語を学び,韓国語にとても精通していたようです.長崎の英語学校を経て慶應大学を出た人材でした.彼は1905年,協約を強制するときに伊藤特使の指示に従い,憲兵たちを連れて韓国外部に行き,外部大臣の職印を持ってくる役割も遂行しました.
(外部ってどこだよと思うんですが)
(伊藤博文がハルピンに行くときとか)
(それについては書いてないんですよねえ)
(その前は分かった。要するに過去のハングル文献を漢字に直す時にの活字が無い漢字を手書きで添えて写真資料にして送った。イテジンはそれを見てたので「あ、こいつがこいつだ」と。そっからスタートしてるんや。それで筆跡鑑定をやろうかと)
(「あ、この文字見た事ある〜」と)
(めっちゃ主観やなぁ)
※一同苦笑
(すごい主観ですよねぇ)
(とりあえずさこう、通訳が偽造したって言ってるんだよね)
(だからもう、この人って断定してるの?)
(いや要するに朝鮮語にも堪能で、そういう文化事業をやってたからそういう、手書きの文字がたくさん残ってるのがこの人だったというだけかもしれへんのやろ。一応この人の経歴の事よく調べたんやろ?)
(「経歴はこうです〜」と)
(接点あるに違いないと踏んだ訳や)
ある日本人韓国学者から彼の遺稿が日本の九州大学朝鮮学室に寄贈・保管されているということを教えてもらい,そこへ訪ねて行ってみました.二日ほど彼の遺稿と遺品を調査して,『感恩記』という自叙伝に接しました.この冊子はやはり自筆原稿の謄写本でした.この本の文字が問題の署名の文字ともっともよく似ていて,文字の大きさも似通っていました.
(来たか)
(来たか)
(イテジンが発見!発見!)
(イテジンワクワク!)
〜続く〜
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これは メッセージ 3836 (usagigamemaimai さん)への返信です.
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