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>彼らは大変な理想主義者ですね

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2005/11/30 03:37 投稿番号: [3143 / 7270]
満州事変の計画を国内で支援した橋本欣五郎も理想主義者でした。

満州と理想主義ということを別の面からちょっと見てみます。

「我々(青森の連隊)が進駐したことにより自治指導部ができ、奉天からは自治指導員として庭川辰雄らが派遣されてきた。

「庭川ら自治指導部に集まった青年達は満州に道義国家を建設しようという理想に燃えていた。そのため彼らは軍隊の進駐と共に、時には軍隊の進駐よりもはやく奥地にはいった。

「道義国家の建設のためには満州は矛盾をはらんだ日本の延長であってはならなかった。それだけに、日本での革新の胎動には期待をもっていた。

「あとで5.15事件の公判が開かれるに当り、このグループから蛸井元義等3人が被告の無罪を主張するために上京するのである。

「その中の蛸井がいかに満州の農民に愛情を持っていたかは、大牟羅良がその著書『ものいわぬ農民』(岩波新書)の中で感銘深く述べている。

「著者(大牟羅)が、在満時代、蛸井から口癖のように聞かされたことを、少しでも正しくお伝えしたいと念じて筆をとったものです、と著書の結びにしているが、この農民とは満州農民のことである。

「私(末松)が2.26事件で入獄中、私の家内をはるか満州から集団で手紙を寄せ、慰めてくれたのはこの蛸井の仲間だった。

「蛸井は満州の現状がすでに蛸井らの理想と反していることを知っていた。そうなればこその苦闘であり、その結果病を得たともいえる。

「蛸井は日本の敗戦を見ずに肺病で没したが、私が病床を見舞ったある日、蛸井はふと、満州で任地が変わるごとに一つづつ子供の墓を残してきた、ともらした。蛸井はきっと、愛児同様、満州の土となって彼にとっての道義国家の礎石となりたかったにちがいない。

北一輝は、歴史とは血と涙で書るべきものだといったが、もし北の説がゆるされるなら、満州建国を日本帝国主義の侵略と規定する世間通用の歴史のほか、蛸井らの満州建国史も書かれてよいはずである」(末松太平・私の昭和史)



大牟羅の「ものいわぬ農民」は、自己の満州経験、沖縄での兵役等が、郷里岩手の農民の生活と共に紹介されています。
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