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Re: トウガラシ消費量と国民性

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/11/17 21:26 投稿番号: [3110 / 7270]
>タイと性格上の共通点はなにかあるのかなあ・・・

まったくないですね。(笑)
タイにはトウガラシの刺激をも退ける英知があるようです。
根本的に、韓国とは歴史も国民性も違い過ぎます。

イギリスが、インド、マレー半島、ミャンマー(ビルマ)を植民地にしていく。
一方、フランスはベトナム、カンボジア、ラオスを植民地にしていった時代、タイは・・・。
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/column/saiyuki/archive/news/2005/20050204org00m030045000c.html
>>英仏に挟まれるという、なんとも息の詰まるような政治環境の19世紀後半にチャクリ王朝の王様だったのが、チュラロンコン王(1853年〜1910年)でした。在位は、1868年〜1910年。ということは、15歳で国王になっているわけですから、未成年の王様にとって、この政治状況はしんどかったことでありましょう。しかし、チュラロンコン王は頑張った。カンボジアに持っていたタイの領土をフランスに譲渡するかわりに、フランス軍はメコン川から西には入ってこないことを確約させた。あわせて、英国にもメコン川の東に進出しないことを約束させたんです。その代わりに、タイの独立を守った。英国とフランスの双方の要求を仔細に検討して、タイのメンツである独立を守るような道を探り、実現したのであります。

「世界軍事学講座」松井茂著より抜粋。
『   七〇年代、南ベトナム、カンボジア、ラオスが共産化され、タイはメコン河を隔てるのみで、共産圏と接することになった。
  このメコン河に沿った東北タイは、タイのなかでも開発の遅れた貧乏な農村地帯であった。そこへ、首都バンコクなどの都市部から、社会主義に燃えた学生たちが大挙して乗り込み、農村に組織を張り、農民を味方にして、農村ゲリラを始めた。
  当初、タイ社会を動揺させたが、プミポン国王は英邁な君主であった。同国王は、ゲリラの学生に純真で知能が高く、本来ならタイの将来を担うべき人材が多いことを知っていた。そこで、学生たちに、「過去は問わない。帰順せよ」と呼びかけた。一方、学生たちも大きなジレンマに直面していた。貧しい農民たちに、マルクス・レーニン主義を説けば、直ちに応じると思っていたのに、一部の若者を除いて、同調してくれない。
  自分たちの世間知らずを、身を以って悟った学生たちは、「もう一度、大学に戻って勉強し直そう」と、ぼつぼつ帰順し出した。当初は、帰順の呼びかけを、罠だと思っていた多くの学生たちも、帰順者たちが罰せられず、大学へ復学して、ちゃんと学んでいることを知ると、争って帰順するようになった。
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